“引きこもり将軍”足利義政のせいで応仁の乱が勃発!? でも芸術や文化には貢献

足利義政 室町時代

要約

足利義政は室町幕府第8代将軍として知られていますが、その実態は「引きこもり将軍」とも揶揄されるほど政治には無関心でした。その結果、後継問題から応仁の乱が勃発し、京都は戦火に包まれます。一方で、彼は東山文化の象徴ともいえる銀閣寺を築き、芸術や文化の発展に大きな影響を与えました。本記事では、義政の生涯と彼が遺した功罪を解説します。

ミホとケンの対話

ミホ
ミホ

足利義政って聞いたことある?

ケン
ケン

あー、なんか将軍っぽい名前だね?でもあんま知らないかも…

ミホ
ミホ

“引きこもり将軍”って呼ばれてた人なんだよ

ケン
ケン

えっ!? 将軍なのに引きこもり!?

ミホ
ミホ

そう。政治そっちのけで趣味に没頭してたの

ケン
ケン

何それ、サボりすぎじゃない!?

ミホ
ミホ

でもそのおかげで東山文化が栄えたんだよ。たとえば銀閣寺も彼が建てたの

ケン
ケン

銀閣寺って金閣寺の仲間?

ミホ
ミホ

そうそう。でもあっちは“地味シブ”な感じがウリなの

ケン
ケン

なるほど…それで引きこもってたの?

ミホ
ミホ

正確には、政治から逃げたとも言われてるの。争いが苦手だったみたい

ケン
ケン

そんな人が将軍になってよかったの?

ミホ
ミホ

本人は最初、将軍になる気がなかったんだって。兄が死んで仕方なくって感じ

ケン
ケン

それ運命変わりすぎじゃん!

ミホ
ミホ

しかも後継ぎ問題で弟と息子が争い始めて…それが応仁の乱の火種に

ケン
ケン

うわ、家庭内トラブルから戦争!?

ミホ
ミホ

義政はそれでも知らんぷり。文化にのめり込んでたの

ケン
ケン

うーん、趣味も大事だけど…将軍だよね?

ミホ
ミホ

そこが“引きこもり将軍”って呼ばれる所以よ

ケン
ケン

なんか悲しいような面白いような…

ミホ
ミホ

義政には功罪があるの。戦乱の原因になったけど、文化の担い手でもあった

ケン
ケン

なるほど、ダメなだけじゃないんだね

ミホ
ミホ

そう。良くも悪くも、日本史に残る個性的な将軍だったのよ

ケン
ケン

引きこもりが歴史を動かす時代って…すごいな!

さらに詳しく

足利義政

足利義政(伝土佐光信画、東京国立博物館蔵)

足利義政とは?

足利義政(あしかが よしまさ)は、室町幕府第8代将軍として在位しました。生没年は1436年〜1490年。在任期間は1449年から1473年までの約24年間です。

彼は父・足利義教の死後、兄・義勝の早世を受けて将軍となりましたが、本人には将軍としての強い意志や資質が欠けていたと言われています。政治的混乱の時代に生きた彼の在任中、日本は大きく動揺することになります。

将軍になった経緯

もともと義政は僧侶になる予定でした。しかし、兄の急死により急遽将軍に指名され、不本意なかたちで政権を担うことになります。このような背景もあり、政治への関心は非常に低く、次第に政務から距離を置くようになっていきました。

その代わりに心のよりどころとなったのが、芸術・文化活動でした。義政は水墨画、茶の湯、庭園設計など、当時の中国文化の影響を受けた美的表現に傾倒していきます。

応仁の乱と義政の責任

義政の将軍職時代、もっとも深刻な事件が応仁の乱(1467〜1477年)です。この内戦は、日本中の守護大名を巻き込み、京都を灰燼に帰すほどの大戦となりました。

後継問題が発端

義政には当初、後継ぎがいなかったため、弟・足利義視を後継と定めていました。しかしその後、正室・日野富子との間に息子・義尚が生まれ、後継者をめぐる対立が発生します。

この親族間の争いが、細川勝元(東軍)と山名宗全(西軍)の対立に発展し、全国規模の戦争へと拡大しました。義政自身は調停を試みず、むしろ事態を傍観し続け、戦乱の長期化を招いたのです。

銀閣寺と東山文化

義政は応仁の乱後、政治から完全に身を引き、京都の東山に隠棲します。そこで建てられたのが、現在も人気の観光名所である銀閣寺(正式名称:慈照寺)です。

銀閣寺は、彼の美意識を体現した建築であり、わび・さびの精神や、書院造といった日本建築の基礎を築く上で大きな役割を果たしました。

これにより生まれた文化様式を「東山文化」と呼び、茶道、水墨画、能楽、庭園美など、多彩な分野で日本の伝統文化の礎を形成しました。

「引きこもり将軍」という評価

義政の政治姿勢は当時から批判されており、現代ではしばしば「引きこもり将軍」と呼ばれています。これは、政治的責任を放棄し、自らの趣味に没頭した姿勢から来ています。

一方で、政治的には失敗したものの、文化の面では類まれな才能と審美眼を持っていたことも否定できません。彼が築いた東山文化は、後の桃山文化や江戸時代の文化隆盛にもつながる重要な礎となりました。

その意味で、義政は「無能な将軍」という評価とともに、「美の巨人」としても歴史に名を残す稀有な存在と言えるでしょう。

まとめ

足利義政

足利義政は「引きこもり将軍」とも称されるほど政治に無関心でしたが、その一方で銀閣寺をはじめとする東山文化を開花させ、日本文化の基礎を築いた人物でもあります。応仁の乱の原因をつくった責任もありますが、美意識を貫いたその生き方には独自の魅力があるといえます。

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