要約
足利義昭は室町幕府15代将軍として任命されたものの、実際には織田信長の支援を受けて将軍となった経緯があり、「傀儡将軍」とも称されました。信長の勢力拡大に伴い、義昭はその意向に従わざるを得ず、次第に将軍としての実権を失っていきます。最終的には信長と対立し、幕府は崩壊へと向かいました。本記事では義昭の生涯と「傀儡将軍」と呼ばれた背景を、対話形式でわかりやすく紹介します。
ミホとケンの対話

ケン、足利義昭って知ってる?

んー、足利っていうと室町幕府の人?名前は聞いたことある!

そうそう!義昭は室町幕府の最後の将軍なんだけど、“傀儡将軍”って呼ばれたりもするのよ

かいらい?それってどういう意味?

簡単に言うと、自分では権力を持たず、他人に操られてる存在のこと。義昭の場合は、織田信長にね

えっ、将軍って一番偉い人じゃないの?

本来はそうなんだけど、義昭は信長の力を借りて将軍になったの。だから頭が上がらなかったのよ

なるほど…じゃあ信長の“飾り”みたいなもん?

言い方がちょっと乱暴だけど、イメージとしてはそんな感じ(笑)

なんでそんな立場で将軍になったの?自分の力じゃムリだったの?

実は義昭、最初はお坊さんだったの。でも兄の義輝が暗殺されて、自分が将軍を継ぐことになってね

お坊さんから将軍に!? すごいキャリアチェンジだね

そうなの(笑)。でも、将軍になるには武力を持った後ろ盾が必要だった。そこで信長に目をつけたのよ

信長って確か天下を狙ってた人だよね?

その通り。信長にとっても“将軍を担ぐ”ことで自分の権威を高められるから、利害が一致したの

お互いにメリットがあったんだ

でもだんだん信長のやり方に義昭が反発し始めて、ついに対立することになるの

対立って、まさか戦うの!?

そう。義昭は“信長包囲網”っていう大名たちの連合を作って、信長を倒そうとしたのよ

でもそれってうまくいったの?

残念ながら…うまくいかなくて、義昭は京から追放されてしまったの

ああー、それで“最後の将軍”って言われるんだ

うん。彼が追放されたことで、事実上、室町幕府は終わったの

義昭って、すごくドラマチックな人生だったんだね…

まさにそう。野望と策略に巻き込まれた、時代の犠牲者だったとも言えるわね
さらに詳しく

足利義昭
足利義昭とは?
足利義昭(あしかが よしあき、1537年〜1597年)は、室町幕府第15代将軍であり、同幕府最後の将軍です。兄である第13代将軍・足利義輝が永禄の変(1565年)で三好三人衆に暗殺された後、還俗(僧侶をやめて俗人に戻ること)し、将軍職を目指しました。
当初、将軍の地位に就くために、越前の朝倉義景を頼りましたが、彼がなかなか京への進軍に踏み切らなかったため、次に目を向けたのが尾張の若き有力者・織田信長でした。
信長との利害一致と将軍就任
義昭は信長の軍事力を背景に上洛を果たし、1568年に正式に将軍となりました。これは信長にとっても好都合で、「将軍の後ろ盾」という正統性を手に入れることができたからです。
しかし、この関係は対等ではなく、信長が政治や軍事の実権を握る形となり、義昭は名ばかりの存在、いわゆる「傀儡将軍」として扱われるようになります。義昭の命令はしばしば信長の意向によって左右され、幕府本来の権威はすでに形骸化していました。
傀儡からの脱却と対立へ
義昭は次第にこの状態に不満を募らせ、将軍としての実権を取り戻すため動き出します。その一環として、大名たちに呼びかけ、信長を包囲・打倒しようとする「信長包囲網」を形成しました。
武田信玄、浅井長政、朝倉義景、本願寺顕如、石山本願寺などがこの包囲網に加わりました。義昭は信玄に対して「副将軍」の称号を与えるなど、将軍としての権威を最大限に利用して味方を増やそうとしました。
包囲網崩壊と幕府の終焉
しかし、信長の軍事的才能と情報戦、さらには信玄の急死(1573年)によって、包囲網は次第に瓦解していきます。同年、信長は京都にいた義昭をついに追放し、室町幕府は実質的に崩壊しました。義昭の追放をもって、足利将軍家による支配は終焉を迎え、戦国時代から安土桃山時代へと時代は移り変わっていきます。
義昭のその後の人生
追放された義昭は、河内、和泉、そして最終的には備後国鞆(現在の広島県福山市)へと移り住み、そこに「鞆幕府」とも呼ばれる仮の政庁を置きました。ここで彼は形式上は将軍としての地位を維持し続けましたが、実質的な権力は失われていました。
彼は豊臣秀吉とも関係を持ち、名目上は厚遇されていましたが、政権の中枢に戻ることはありませんでした。1597年、60歳でその生涯を終えています。
歴史的評価と義昭の意義
足利義昭は一方で「傀儡将軍」として軽んじられる存在でもありますが、別の見方をすれば、彼は室町幕府の最後の希望を担っていた人物でもありました。
権威を再建しようとした姿勢や、時代に翻弄されながらも将軍としての立場を貫いた姿には、ある種の信念と悲哀が感じられます。また、義昭が信長と対立したことによって信長の天下取りが早まったともいえるため、彼の存在が戦国の歴史に与えた影響は小さくありません。
まとめ
足利義昭は室町幕府最後の将軍でありながら、織田信長の援助によって将軍の地位を得たため、自らの意志で政治を行うことができず「傀儡将軍」と称されました。将軍としての威厳を保とうと信長に反抗するも敗れ、最終的に幕府の終焉を迎えます。その人生は、戦国の混乱と権力闘争に翻弄された、悲劇的な将軍の姿を映し出しています。
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