要約
戦国時代、徳川家康の家臣として数々の戦を戦い抜いた本多忠勝。彼の愛槍「蜻蛉切」は、空を飛ぶトンボさえ真っ二つにしたという伝説を持つ名槍です。本記事では、忠勝の生涯や蜻蛉切の逸話を中心に、その強さの秘密を楽しい会話形式で紹介します。戦場で一度も傷を負わなかったとされる忠勝の武勇とは?
ミホとケンの対話

ケン、本多忠勝って聞いたことある?

うーん…なんか戦国武将っぽい名前?

正解!徳川家康に仕えた、いわゆる“徳川四天王”の一人だよ

四天王って、仏像のやつじゃなくて?

似てるけど違う(笑)。徳川家を支えた4人の最強家臣団のこと!

え、それで忠勝って何がすごかったの?

彼はね、生涯57回も戦に出て、一度も大きなケガをしなかったの!

え!? 不死身!?

それくらいの異名を持ってるよ。“家康に過ぎたるもの”って言われてたの

過ぎたるって、つまり…オーバースペック?

その通り!実力が家康以上じゃないかっていうくらいだったの

で、蜻蛉切って何?技?必殺技?

違うよ(笑)、忠勝が使ってた槍の名前。あまりにも切れ味が鋭くて、飛んできたトンボが真っ二つになったって逸話があるの

マジか!それで蜻蛉切か~。超中二っぽいけどカッコいい!

でしょ?しかもその槍は“天下三名槍”の一つって言われてるんだよ

へぇー!そんなすごい槍使ってたら、敵も近づけないね

実際、忠勝が戦場に現れると敵兵が怯えたって記録もあるよ

ヒーローじゃん!てか、どうしてそんな強かったの?

幼い頃から武芸に秀でてたし、なにより忠義心と冷静な判断力がすごかったんだって

かっこいいなぁ、まさに“戦国の鉄人”って感じ!

まさにその通り!彼の鎧も黒くてすごく印象的だったんだよ

まさに無敵のダークヒーローだね!

ただの戦バカじゃなくて、部下や民にも優しかったから、人気もあったんだよ
さらに詳しく

本多忠勝像、良玄寺蔵
本多忠勝とは?
本多忠勝(ほんだ ただかつ)は1548年に生まれ、徳川家康の忠実な家臣として活躍した戦国武将です。忠勝は戦国時代から江戸時代初期にかけて数々の戦で先陣を切りながらも、致命的な負傷を一度も負わなかったと言われています。その戦いぶりから「不死身の忠勝」や「家康に過ぎたるもの」と称賛されました。主君である家康からの信頼も厚く、徳川四天王の一人として重要な地位を築きました。
蜻蛉切とは?
「蜻蛉切(とんぼきり)」は、本多忠勝が用いた名槍です。天下三名槍(蜻蛉切・日本号・御手杵)の一つとされ、三河の刀工・村正によって鍛えられたとも伝えられています。この槍には、「あまりに切れ味が鋭く、トンボが槍先に触れて真っ二つになった」という逸話が残っています。長さは約6メートル近くもあり、集団戦においても極めて有効な武器でした。
忠勝の戦歴と人物像
忠勝は姉川の戦い、小牧・長久手の戦い、関ヶ原の戦いなど多くの合戦で活躍しました。特に若き日の忠勝は先陣を切る戦術で名を馳せ、敵からも恐れられる存在でした。その一方で、忠義に厚く部下思いの性格から、人望も厚かったとされています。晩年は桑名藩の初代藩主として領地経営にも尽力し、武将としてだけでなく政治家としても成功を収めました。
まとめ
本多忠勝は戦国時代において、武勇と忠義を兼ね備えた稀代の武将でした。その象徴とも言える「蜻蛉切」は、まさに彼の強さと伝説を物語る名槍です。敵に恐れられ、味方に慕われた忠勝の存在は、徳川家の発展に大きく貢献しました。彼の生涯は、まさに戦国の英雄そのものです。
オマケ
AIに、本多忠勝のトンボ真っ二つ伝説をイメージ画像にしてもらうと、こうなりました。
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