南朝vs北朝!現代でも揺れる“正統”を巡る南北朝の衝撃の真実

南北朝 室町時代

要約

南北朝時代(1336〜1392年)は、日本史上唯一「二人の天皇が同時に存在した」時代です。京都にいたのが北朝、奈良・吉野にいたのが南朝で、双方が正統を主張しました。明治政府は南朝を正統と定めましたが、現代の天皇家は北朝系。この記事では、なぜ南朝が正統とされるようになったのか、足利尊氏の立場、そしてその歴史観が現代にどう影響しているのかを解説します。

ミホとケンの対話

ミホ
ミホ

ケン、南北朝時代って知ってる?

ケン
ケン

えーっと、天皇が二人いたってやつだよね?どっちがホンモノだったの?

ミホ
ミホ

うん、それが難しいところで、京都にいたのが北朝、吉野に逃れたのが南朝の天皇だったの

ケン
ケン

じゃあ今の天皇って、どっちの流れ?

ミホ
ミホ

実は北朝なの。でも、明治時代には“南朝が正統”って決められたのよ

ケン
ケン

え!? 正統じゃないほうが続いちゃったってこと?

ミホ
ミホ

そう。元々、皇統は大覚寺統と持明院統に分かれて交代制で即位してたの。でも後醍醐天皇がルールを破っちゃって…

ケン
ケン

あ?またそういうの…で、戦になったの?

ミホ
ミホ

その通り!後醍醐天皇が建武の新政を始めたけど、失敗して、足利尊氏に京都を取られたの

ケン
ケン

じゃあ尊氏は敵?

ミホ
ミホ

南朝から見るとね。でも尊氏は“国を治めるため”に北朝を立てたとも言える

ケン
ケン

えー、どっちが悪いのか分かんないよ…

ミホ
ミホ

実際、歴史的にはどっちが正統かを巡って“南北朝正閏論(なんぼくちょうせいじゅんろん)”っていう論争がずっとあったのよ

ケン
ケン

なんか難しそうな言葉が出てきたぞ!?

ミホ
ミホ

“正閏”は、正しい方と間違ってる方を決めるってこと。明治政府は、南朝が神器(三種の神器)を持ってたことを理由に正統としたの

ケン
ケン

なるほど?神器ってやっぱ大事なんだ

ミホ
ミホ

そう。でも現実には北朝が政治を動かしてて、今の皇室もそっちの流れなの

ケン
ケン

じゃあ“正統”って名前だけってこと?

ミホ
ミホ

ある意味そうね。明治時代には南朝を正統とすることで、天皇の権威を強化したかったって背景もあるの

さらに詳しく

後醍醐天皇

後醍醐天皇(清浄光寺蔵)

南北朝の「正統論」とは?

南北朝時代(1336年~1392年)は、日本史上唯一、二つの朝廷が同時に存在した時代です。京都にあったのが北朝(持明院統)、奈良・吉野にあったのが南朝(大覚寺統)で、いずれも自らが正統な皇統であると主張していました。

この対立のきっかけは、後嵯峨天皇の死後、皇位継承をめぐって皇統が二つに分かれた「両統迭立(りょうとうてつりつ)」という慣例です。ところが、後醍醐天皇がこれを破り、自らの統だけで即位を続けようとしたことが原因で対立が表面化しました。

結果、足利尊氏が擁立した光明天皇を北朝に据えたことにより、二つの天皇が並び立つ「南北朝時代」が幕を開けました。

なぜ南朝が「正統」とされたのか?

明治政府が南朝を「正統」と位置付けた背景には、当時の政治的意図があります。明治新政府は、天皇の絶対的な権威を再構築する必要があり、そのためには「神聖で途切れない皇統」を強調する必要がありました。

ここで注目されたのが、南朝が三種の神器(鏡・剣・玉)を保持していた点です。三種の神器は、天皇の即位に欠かせないものであり、それを持ち続けていた南朝こそが真の皇統である、という論理が採用されました。

これにより、明治政府は南朝の天皇を「正統」とし、北朝は「僭称(にせもの)」としたのです。これがいわゆる「南北朝正閏論」の発端です。

北朝系の皇統が続いた理由

しかし、現実的には北朝室町幕府の支援を受けて政治を掌握しており、その後も天皇の系譜は北朝の流れをくむ形で続いています。

特に足利義満の時代に南北朝が合一(明徳の和約)された際、後亀山天皇が神器を後小松天皇に譲り渡したことによって、形式的にも北朝が実権を握ることになりました。

その結果、現代の天皇陛下も、北朝系の皇統に連なっています。つまり、「正統」とされたのは南朝ですが、「実際に続いている皇統」は北朝なのです。

現代における評価と見解

戦後になると、皇国史観に基づく明治時代の正統論は見直され、歴史学的には両朝ともに一定の正当性があるとする立場が主流となりました。

特に、武家政権が成立した背景や地方支配の構造変化を含めて分析することで、「単に神器を持っていたかどうか」だけで正統性を語るのは難しいという認識が広がっています。

また、現代の教育や学術界では「南北朝時代」として中立的に両者を扱っており、「吉野朝」や「北朝の僭称(せんしょう)」といった表現はほとんど使われなくなりました。

まとめ

南北朝時代
南北朝時代における「正統」は、必ずしも現実の権力と一致していません。明治政府は南朝を正統としましたが、現皇室は北朝の系譜です。これは「正統性」と「実効性」が歴史の中でどう交差し、利用されてきたかを示す好例です。歴史を知ることで、過去の出来事が現在にどう影響しているかが見えてきます。

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