実は聖徳太子には別名があった?厩戸王とは?天才か作られた偶像か謎に挑む

聖徳太子 古墳・飛鳥時代

要約

聖徳太子は日本史における有名人物ですが、実は「聖徳太子」という呼び名は後世につけられた称号であり、生前には別の名前で知られていました。本記事では、彼の本名「厩戸皇子(うまやどのおうじ)」をはじめとするさまざまな別名や、その由来について紹介しながら、飛鳥時代の政治や宗教との関わりもわかりやすく解説します。

ミホとケンの対話

ミホ
ミホ

ねぇケン、聖徳太子って本当の名前知ってる?

ケン
ケン

え、聖徳太子じゃないの!? え、あだ名的な?

ミホ
ミホ

そうそう、実は“聖徳太子”って死後につけられた称号なの

ケン
ケン

えー!? じゃあ、生きてた時はなんて呼ばれてたの?

ミホ
ミホ

厩戸皇子(うまやどのおうじ)』って呼ばれてたのよ

ケン
ケン

うま…やど…? 馬の宿? なんか旅館みたい

ミホ
ミホ

うふふ、実は馬小屋で生まれたからって言われてるの

ケン
ケン

え、それってキリスト的な伝説?

ミホ
ミホ

ちょっと似てるかもね。でもこれは日本の話

ケン
ケン

でもなんで“聖徳太子”になったの?

ミホ
ミホ

政治や仏教に貢献したことから、後の人が“徳が高い”って意味で付けたの

ケン
ケン

なるほどー。じゃあ他にも名前あるの?

ミホ
ミホ

あるよ。『上宮太子(じょうぐうたいし)』とか『豊聡耳八重言(とよとみみのやえごと)』とか

ケン
ケン

え、ちょ、ちょっと待って、耳が八重!?

ミホ
ミホ

八重言=たくさんの話を同時に聞き分ける、って伝説ね

ケン
ケン

あー!あの“十人の話を同時に聞ける”ってやつか!

ミホ
ミホ

そうそう、それが“聡耳(そうじ)”=耳が賢いって意味になるの

ケン
ケン

すごい、耳も徳もすごいんだ…!

ミホ
ミホ

他にも『厩戸王』とか『豊耳皇子』とか記録によって呼び名が違うの

ケン
ケン

まるで芸名いっぱいあるタレントみたいだね

ミホ
ミホ

うまいこと言うね!でもその分、どれが本当なのかは謎も多いのよ

ケン
ケン

でも“聖徳太子”って名前、やっぱりカッコいい!

ミホ
ミホ

うん、だから今もその名で有名なの。だけど、彼の正体はもっと深いんだよ

さらに詳しく

聖徳太子

聖徳太子の肖像が描かれた一万円札

聖徳太子とは誰か?

聖徳太子(574年~622年)は、推古天皇の摂政として政治を主導し、日本に仏教や中国式の律令制度を導入した重要人物です。彼の活躍は『日本書紀』や『古事記』に記され、十七条の憲法や遣隋使の派遣など、国家形成期における中心的存在とされています。

「聖徳太子」という名前はいつから?

「聖徳太子」という称号は、死後100年以上経った奈良時代に定着したとされます。生前は「厩戸皇子」や「豊聡耳皇子」と呼ばれていましたが、彼の功績を称えて「聖徳=徳のある聖人」と呼ばれるようになりました。

多すぎる!? 聖徳太子の別名

  1. 厩戸皇子(うまやどのおうじ) – 誕生地の伝説から来た名。

  2. 豊聡耳八重言(とよとみみのやえごと) – 優れた聴力を表現した神秘的な名。

  3. 上宮太子(じょうぐうたいし) – 上宮(住居の名)に由来。

  4. 厩戸王、厩戸皇太子、豊耳皇子 – 書物や文献によって異なる表記が残る。

こうした複数の名前は、彼の人物像が伝説化され、後世に様々な側面から語られた結果だと考えられます。

諸説ある実像

一方で、近年の研究では「聖徳太子は架空の存在では?」という学説もあり、太子像は後世の創作が混じっているとも言われます。とはいえ、飛鳥時代の改革や仏教受容におけるキーパーソンであることは間違いありません。

まとめ

聖徳太子は、生前には「厩戸皇子」として知られており、「聖徳太子」という名は死後に称された敬称です。彼には複数の別名があり、それぞれに意味や背景があります。その多様な呼び名からは、彼がいかに多くの側面を持つ人物として評価され、また伝説化されてきたかがうかがえます。

オマケ

AIに聖徳太子にはいろんな別名があることをイメージ画像にしてもらうと、こうなりました。

聖徳太子

コメント

タイトルとURLをコピーしました