要約
坂本乙女は坂本龍馬の実姉で、身長175cmを超える長身だったとされます。当時の女性としては非常に珍しい体格で、剣術にも優れ、弟・龍馬に多大な影響を与えました。乙女の破天荒で豪快な人物像は、坂本家にとって精神的支柱でもありました。この記事では、そんな坂本乙女の意外な魅力に迫ります。
ミホとケンの対話

ねえケン、坂本龍馬のお姉さんって知ってる?

え?龍馬ってお姉さんいたの?

そう!坂本乙女っていうの。なんと、身長175cmくらいあったんだって!

えっ、幕末の女性で!?めっちゃデカくない!?

そうなのよ。当時の平均身長が140?150cmくらいだったから、乙女はまさに巨人!

それって…めちゃくちゃ目立ったんじゃ?

目立ったし、強かったの。剣術の達人で、龍馬に剣術や学問も教えてたのよ

お姉さんが先生だったのか…それはカッコイイ!

しかも豪快な性格で、『男より男らしい』って言われてたくらい

あはは、それもう坂本家のボスだね!

実際、父親が早くに亡くなったあと、乙女が家族のまとめ役だったのよ

龍馬があんなに自由な人になれたの、乙女姉ちゃんのおかげなのかも?

うん、龍馬が旅に出たあとも、手紙で支え続けてたの

うわー、姉弟愛がすごい…!しかもデカくて強い!

笑。『乙女日記』っていう手紙も残ってて、龍馬のことをすごく大事に思ってたのがわかるよ

ちなみにさ、結婚とかはしなかったの?

一度結婚したけど、すぐ離縁して戻ってきたみたい。やっぱり乙女は家族命だったんだね

今の時代にいたらスポーツ選手とかになってたかもなぁ

うん、もしかしたら剣道のオリンピック選手かも!

でも姉ちゃんが最強って…龍馬もちょっと気まずかったりして?

そうかもね。でも龍馬は、誰よりも姉を尊敬してたんだって
さらに詳しく

左が坂本乙女とされる写真ですが、裏付ける証拠はないようです
坂本乙女とは?
坂本乙女(さかもと おとめ)は、1832年に土佐藩で生まれ、坂本龍馬の2歳上の実姉です。
彼女は身長約175cmとされ、当時の女性としては圧倒的に高身長でした。これは現在の日本女性の平均身長(約158cm)と比べてもかなり大きく、幕末期では「異様なほど背が高い」と記録されるほどでした。
また、剣術・漢学・漢詩に優れた才女で、男勝りの性格から「坂本家のボス」とも言われていました。
剣術の実力と長身の武家女性
乙女は、剣術指南を行えるほどの腕前を持っていました。彼女が学んだのは、土佐藩の郷士階級で教えられていた剣術の流派の一つとされます。
乙女の剣術スタイル
体格に恵まれていたこともあり、パワーとリーチを活かした剣技が得意だったとされ、弟・龍馬にもしばしば稽古をつけていたと伝わります。まさに「姉弟剣士」としての姿が浮かび上がります。
坂本龍馬との関係

坂本龍馬(国立国会図書館より)
坂本乙女は、幼少期から弟・龍馬の教育役でもありました。剣術や学問の先生として、龍馬の基礎を築いた人物です。
龍馬が成長し、脱藩して日本を変えるために奔走するようになってからも、乙女は手紙で精神的な支えとなり続けました。乙女の記した手紙や日記には、龍馬への深い愛情と信頼が感じられます。
「乙女日記」との関係
現代に伝わる「乙女日記」や書簡からは、弟を誇りに思い、時に心配しながらも応援する乙女の姿が浮かび上がります。これらの資料は、幕末の家庭事情や女性のあり方を知るうえで重要な史料となっています。
坂本家の精神的支柱
坂本家の父が早くに亡くなったことで、乙女が実質的な家長となり、家族を支える存在となりました。
女性が家をまとめることは珍しい時代でしたが、乙女はその役割を堂々と果たし、厳しさと優しさを兼ね備えた存在として周囲からも頼られていました。
弟妹への影響
龍馬だけでなく、他の兄弟姉妹にとっても乙女は精神的な指導者でした。特に龍馬の思想や行動力の原点には、乙女の教育が大きく関わっていたことは間違いありません。
結婚とその後の人生
乙女は一度、土佐藩の医者・西山志澄と結婚しましたが、性格の不一致などにより、ほどなくして離縁しています。
その後は再び坂本家に戻り、晩年まで家族と共に過ごしました。彼女は1911年(明治44年)に亡くなるまで、長く生き抜き、幕末から明治を知る貴重な生き証人でもありました。
まとめ
坂本乙女は、幕末の土佐藩に生きた女性としては稀な長身と剣術の才能を持ち、坂本龍馬に大きな影響を与えました。家族のまとめ役として強くたくましく生きたその姿は、現代の私たちにも多くの示唆を与えてくれます。豪快で聡明な彼女は、歴史の陰の立役者とも言える存在です。
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