坂本龍馬と中岡慎太郎、最初は不仲!? 幕末の名コンビ誕生秘話

坂本龍馬、中岡慎太郎 幕末

要約

幕末の志士として名を馳せた坂本龍馬と中岡慎太郎は、のちに共に薩長同盟の成立に尽力するなど強い信頼関係を築きましたが、出会った当初は決して良い関係ではありませんでした。本記事では、そんな二人の不仲の理由や、どのようにして名コンビへと発展していったのかをひも解きます。

ミホとケンの対話

ミホ
ミホ

ケン、中岡慎太郎って知ってる?

ケン
ケン

えーっと…坂本龍馬と一緒に暗殺された人?

ミホ
ミホ

正解!でもね、実はその中岡慎太郎と坂本龍馬、最初は仲が良くなかったの

ケン
ケン

えっ、そうなの!?てっきり親友同士だと思ってた!

ミホ
ミホ

今ではそう思われがちだけど、最初はお互いに全然タイプが違ったのよ

ケン
ケン

どう違ったの?

ミホ
ミホ

慎太郎は超まじめな志士で、土佐勤王党のメンバー。龍馬はどっちかっていうと自由人タイプだったの

ケン
ケン

性格の違いでぶつかったって感じ?

ミホ
ミホ

まさにそれ!慎太郎は龍馬の考えがふわふわしてるように見えたらしくて、最初は嫌ってたの

ケン
ケン

うわ、意外だな~。なんで仲良くなったの?

ミホ
ミホ

龍馬がだんだん行動で信頼を勝ち取っていったの。薩長同盟の話を進めてた頃には、慎太郎も完全に認めてたよ

ケン
ケン

つまり、慎太郎は実力を見て考えを変えたんだ!

ミホ
ミホ

そう。中岡慎太郎って、自分の信念に忠実だけど、柔軟性もあった人なのよ

ケン
ケン

最初から仲良しじゃなかった方が、後の信頼の深さが際立つね!

ミホ
ミホ

うん、だからこそ二人が一緒に命を落としたことにも、すごく重みがあるのよ

ケン
ケン

その暗殺って…近江屋事件だよね?

ミホ
ミホ

正解。1867年、京都の近江屋で二人は同時に襲撃されてしまったの

ケン
ケン

最後まで一緒だったって、何か切ない…

ミホ
ミホ

そうなの。でもその分、二人の信頼関係の深さが後世に語り継がれているのよ

ケン
ケン

うん…最初の不仲から、よくそこまで信頼し合えたなあ

ミホ
ミホ

人間関係って、時間をかけて築くものなんだよね

さらに詳しく

坂本龍馬

坂本龍馬(国立国会図書館より)

坂本龍馬と中岡慎太郎とは?

幕末の動乱期、日本の未来を変えた多くの志士が登場しました。その中でも坂本龍馬と中岡慎太郎は、ともに土佐藩出身でありながら異なる立場と思想を持ちつつ、やがて志を同じくし、歴史に名を刻んだ人物です。

坂本龍馬は1836年に土佐藩の下級武士の家に生まれました。剣術修行で江戸に出た後、尊王攘夷思想に目覚め、やがて脱藩。日本を一つにまとめる「船中八策」などを構想し、薩摩と長州を結びつける薩長同盟の成立にも貢献しました。武力倒幕にこだわらず、政治的な話し合いによる平和的な新体制の構築を目指した点が特筆されます。

一方、中岡慎太郎は1838年生まれで、坂本と同じく土佐藩の下級藩士の家に育ちました。若くして尊王攘夷に傾倒し、武市半平太が率いる土佐勤王党に参加。攘夷を信じて京都で活動し、倒幕のために奔走していました。

不仲の理由:思想と行動のギャップ

中岡慎太郎

中岡慎太郎(維新土佐勤王史(1912年刊))

そんな二人ですが、出会った当初はまったく気が合いませんでした。中岡は真面目で実直な性格であり、勤王党の規律を重んじ、攘夷を信じて疑わない志士でした。対して坂本は自由奔放で、既存の枠にとらわれない柔軟な発想をする人物。中岡から見ると、龍馬の考え方は曖昧で信念が弱いように感じられたのです。

さらに、坂本は武力による倒幕だけでなく、政治の仕組みそのものを改革しようと考えており、「大政奉還」などの構想を進めていました。こうしたスタンスは、従来の攘夷一辺倒の志士たちには理解されにくく、特に勤王党出身の中岡とは思想的にすれ違っていたのです。

信頼のきっかけ:薩長同盟と行動力

二人の関係が変化したきっかけは、坂本龍馬の実行力と成果でした。1866年、坂本は薩摩藩と長州藩という長年敵対していた藩同士を仲介し、「薩長同盟」を成立させました。これは幕府に対抗する大きな枠組みを作ることで、倒幕を現実的なものにした歴史的偉業です。

中岡慎太郎もこの動きを知り、次第に龍馬に対する見方を改めていきます。実際に坂本と共に行動することで、龍馬の理想と現実を結びつける政治的手腕に感銘を受け、信頼を寄せるようになりました。二人はそれぞれ独自に動いていたものの、やがて協調して倒幕に向けた活動を展開していくようになります。

共闘と最期:近江屋事件

1867年、徳川慶喜が大政奉還を宣言し、幕府の政権は朝廷に返されました。しかし、実質的な権力は依然として幕府側にあり、倒幕派は引き続き警戒を強めていました。そのような緊張状態の中、同年11月15日、京都の近江屋に滞在していた坂本龍馬と中岡慎太郎は、何者かによって襲撃されます。

襲撃犯については諸説ありますが、幕府側の見廻組による犯行とする説が有力です。この襲撃により、龍馬はその場で即死。中岡は深手を負いながらも数日間意識を保ち、事情聴取に応じましたが、結局命を落としました。

慎太郎が最後に語った内容は、犯人を特定するほどの証拠とはなりませんでしたが、二人の最期が同じ場所で迎えられたことは、彼らの絆の深さを象徴する出来事となりました。

幕末史に刻まれた友情

坂本龍馬と中岡慎太郎の関係は、単なる同志ではありませんでした。思想の違いから始まり、互いを理解し合い、やがて命を懸けて共闘するまでになったその過程は、多くの人々に感動を与えます。

まとめ

坂本龍馬、中岡慎太郎
坂本龍馬と中岡慎太郎は、初対面では思想や性格の違いからお互いを好ましく思っていませんでした。しかし、龍馬の行動力と信念が次第に中岡の心を動かし、二人は幕末における最重要人物の一人として協力するようになりました。最期を共にしたこともあり、深い信頼の象徴として語り継がれています。

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