要約
大奥は江戸城内に存在した女性だけの特別な空間で、将軍に仕える女性たちによって厳格な階級制度が築かれていました。上は「御年寄」や「上臈御年寄」など将軍の身近で権力を握る存在から、下は雑用を担当する「御末」や「中臈見習い」まで多岐に渡ります。美しさや家柄、そして運や策略が昇進に影響し、まさに女たちの戦国とも言える世界でした。この記事では、そんな大奥の階級制度の実態を解き明かします。
ミホとケンの対話

ケン、大奥って聞いたことある?

なんとなくドラマで見たかも?お姫様がいっぱいいるとこ?

お姫様というより、将軍の身の回りの世話をする女性たちの集まりかな。でもその中には、将軍の側室になる人もいたのよ

へぇ~。それって結構大変そうだけど、みんな同じ立場なの?

いい質問!実はね、大奥の中には細かい階級制度があったの

階級って、兵隊みたいな?

うん、似てるかも。トップに立つのは『御年寄(おとしより)』とか『上臈御年寄(じょうろうおとしより)』って呼ばれる人たち

えっ、『お年寄り』?おばあちゃんたち?

名前はそうだけど、実際は40代とかでもなれるの。権力を持った上司って感じね

なるほど~。で、その下には?

『中臈(ちゅうろう)』っていう側室候補の人たちがいるよ。美人で教養がある人が多かったの

それって将軍の好みで選ばれるとか?

もちろん。でも、性格や家柄も重要だったの。将軍の気に入りになれば昇進も夢じゃない!

うわ、アイドルのオーディションみたいだね…

ふふ、確かに。でもライバルに蹴落とされることもあるから、怖い世界よ

じゃあ一番下の階級は?

『御末(おすえ)』や『中臈見習い』と呼ばれる雑用係。食事の配膳や掃除を担当するの

大奥ってお金持ちのお嬢様ばっかりじゃなかったの?

そう思われがちだけど、農家や町人の娘が奉公に出ることもあったのよ

えっ、そんな人でも出世できるの?

できるわよ。実際、下からのし上がった女性も何人もいたの

でも、どうやって?

賢さ、礼儀作法、美しさ、それに運と政治力…あらゆる能力が試されるの

まさに女の戦国時代ってやつか~

その通り!だからこそ、大奥って歴史的にも面白いのよね

ドラマみたいだけど、リアルなんだね…!
さらに詳しく

「御台所のお召し替えの世話をする御台所付中臈 」橋本(楊洲)周延画
大奥とは?
江戸城内の本丸奥に設けられた「大奥」は、将軍に仕える女性たちだけが生活を許された閉ざされた空間です。将軍の正室(御台所)や側室、さらには日常の世話をする女中たちまでが集まり、江戸時代を通して独特の女性社会を形成しました。
その存在は極めて機密性が高く、将軍と大奥の女性以外の男性は立ち入り禁止という厳格なルールがありました。外部から隔絶された空間だからこそ、内部での秩序と階級制度が重要になったのです。
大奥の主な階級構成
大奥の女性たちはすべて平等ではなく、はっきりとした階級制度に従って役割と待遇が分けられていました。以下に主な階級を紹介します。
上臈御年寄(じょうろうおとしより)
大奥の最高位にあたる役職で、将軍や御台所の側近中の側近です。人事や財務、大奥全体の運営に関わる絶大な権限を持っていました。時に政治にまで影響を与える存在であり、老中との連絡役を務めることもありました。
御年寄(おとしより)
上臈御年寄に次ぐ重要な役職で、実務の中核を担います。配下の女中たちを統括し、日々の管理を行う存在で、将軍の寵愛を受けた女性や、家柄の良い女性が任命されることが多いです。
中臈(ちゅうろう)
将軍の側室候補として扱われる中堅クラスの女中です。美しさや教養、礼儀作法などが重視され、大名家の娘などが任命されました。将軍に見初められれば一気に昇進の可能性がある階級です。
御次(おつぎ)・御小姓(おこしょう)
中臈や御年寄の補佐役を担います。身分は中堅以下ですが、上層部との関係が深いため、出世のチャンスもある重要なポジションです。
御末(おすえ)・中臈見習い
大奥内の雑用や奉公を担当する最下層の役職です。農民や町人出身の女性も多く含まれており、厳しい修行や奉公を経て昇進の道を目指します。
大奥の秩序と権力構造
大奥の階級制度は単なる形式ではなく、内部の力関係そのものを表すものでした。階級が上がれば住む部屋も待遇も変わり、食事や服装の格も異なります。例えば、上臈御年寄クラスになると、豪華な着物や専用の侍女を持つことができました。
このような環境では、女同士の嫉妬や競争、陰謀が絶えない状況となり、「女の戦国」とも言われたのです。派閥抗争や讒言(ざんげん)によって失脚することもあり、一夜にして天国から地獄へというドラマのような展開も現実に存在しました。
下剋上の夢と現実
大奥の階級は固定ではなく、才能と運次第で昇進が可能でした。たとえば「お万の方」は比較的低い身分から出発し、将軍の寵愛を受けて側室となり、やがて「桂昌院」として大奥の頂点に立ちました。
このように、将軍に見初められること=出世の鍵だったため、身のこなしや教養の習得、他の女中との付き合い方にも細心の注意が払われたのです。昇進すれば実家の家名も上がり、一族の繁栄にもつながるという現実的なメリットもありました。
大奥の教育としきたり
大奥に入る女性たちは、入城時に「御作法方」などの職員から礼儀作法や話し方、歩き方、書道、和歌などの教養教育を受けました。これは単なるマナーではなく、将軍や上司への対応に直結する重要なスキルです。
また、大奥には独自の年中行事や通例があり、それぞれの階級に応じた役割が定められていました。行事の進行に失敗すれば評価に響き、出世の道が閉ざされることもありました。
大奥の終焉とその後
明治維新によって徳川幕府が終わると、大奥もその役割を終えました。一部の女性たちは新政府に仕える者もいましたが、多くは帰郷や結婚などで民間人へと戻っていきました。
しかし、大奥という閉ざされた世界で築かれた人間関係や経験は、その後の女性社会やドラマ、文学作品などにも多大な影響を与え続けています。
まとめ
大奥の階級制度は、ただの女性の集まりではなく、秩序と政治力を伴った複雑な社会構造でした。将軍に仕えるという名目のもと、美貌、教養、家柄、そして運と策略によって地位が決まる世界は、まさに現代の企業社会にも通じる厳しさがあります。今なお多くの人を惹きつけるのは、この人間模様と権力争いのリアルさにあるのかもしれません。
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