大久保利通vs西郷隆盛!同じ薩摩出身で盟友だった2人の決裂の真相とは

日本の近代

要約

明治維新を成し遂げた盟友、大久保利通と西郷隆盛。しかし新政府が樹立された後、2人の間に深刻な意見対立が起こり、ついには決裂します。特に「征韓論」を巡る議論がその大きな原因でした。この記事では、大久保と西郷がなぜ袂を分かつことになったのか、その背景や影響を会話形式で詳しく解説し、明治初期の政治的葛藤を紐解きます。

ミホとケンの対話

ミホ
ミホ

ケン、大久保利通と西郷隆盛って聞いたことある?

ケン
ケン

えーっと、どっちも明治維新のすごい人だよね?

ミホ
ミホ

そうそう、薩摩出身で、幕末に一緒に活躍したんだよ

ケン
ケン

じゃあ仲良しだったの?

ミホ
ミホ

うん、最初はね。でも明治政府ができたあと、あることで対立しちゃったの

ケン
ケン

えっ、何があったの?

ミホ
ミホ

それが“征韓論”っていう政策を巡る対立だったの

ケン
ケン

せいかんろん?…韓国を征服するってこと?

ミホ
ミホ

正確には、当時の朝鮮に対して強硬に開国を迫ろうっていう意見だったの

ケン
ケン

それに西郷さんが賛成して、大久保さんが反対したってこと?

ミホ
ミホ

その通り!西郷さんは自ら使節として朝鮮に行こうとしたの

ケン
ケン

へえ、自分で行くなんてすごい行動力だね!

ミホ
ミホ

でも大久保さんはそれを“無謀だ”って猛反対したの

ケン
ケン

どうして?仲間じゃなかったのに?

ミホ
ミホ

大久保さんは国内の近代化が最優先って考えてたの。戦争にお金使ってる余裕ないって

ケン
ケン

なるほど…それで衝突しちゃったんだ

ミホ
ミホ

結局、西郷さんは政府を去って鹿児島に戻っちゃうの

ケン
ケン

うわぁ、それって本当に“決裂”って感じだね

ミホ
ミホ

そうだね。その後、さらに悲劇的な展開が続くの

ケン
ケン

もしかして…西南戦争?

ミホ
ミホ

そう。西郷さんが反乱を起こして、そして…

ケン
ケン

最後は自決したって習った…うぅ、切ない

ミホ
ミホ

でも大久保さんも、その数年後に暗殺されちゃうの

ケン
ケン

えっ!? 2人とも悲しい最期なんだ…

ミホ
ミホ

明治のはじまりって、実はすごく波乱だらけだったのよ

さらに詳しく

大久保利通

大久保利通


西郷隆盛

西郷隆盛

大久保利通と西郷隆盛とは?

大久保利通(おおくぼ としみち)と西郷隆盛(さいごう たかもり)は、ともに薩摩藩(現在の鹿児島県)出身で、明治維新を成功に導いた立役者です。共に幕末の討幕運動を支え、明治政府樹立後も中心人物として活躍しました。大久保は現実的な政策を重視する実務家タイプで、西郷は民衆からの圧倒的な人望を集めたカリスマでした。

対立のきっかけ「征韓論」

明治4年、岩倉使節団が欧米視察に出発した後、西郷は朝鮮との国交を開くため、自ら使節として派遣されることを提案します。しかし、帰国した大久保らは、戦争のリスクが高すぎるとして強く反対。西郷の提案は却下されてしまいます。西郷はこれに反発し、明治6年に政府を去りました。

この出来事は「明治六年の政変」と呼ばれ、政府の方針が大きく転換する契機となりました。西郷をはじめとする多くの有力者が政府を去ったことで、中央集権化と近代化路線が急速に進む一方、地方の士族たちは不満を募らせていきます。

西南戦争と2人の最期

1877年、不満を持った士族たちは西郷を担ぎ上げて蜂起し、西南戦争が始まります。西郷は旧士族の理想を掲げて最後まで戦いますが、政府軍に敗北し、鹿児島で自刃しました。

一方、大久保はこの内乱を抑えた後、国政の安定と近代化政策を進めていましたが、翌年の1878年、反発する士族によって暗殺されます。

その決裂が意味するもの

2人の決裂は、近代国家としての道を選んだ日本が、旧来の武士の価値観と決別せざるを得なかったという象徴的な出来事です。国内の安定と近代化を優先した大久保と、義を重んじた西郷の対立は、日本の明治時代の方向性を決定づける重要な分岐点でした。

まとめ

大久保利通 西郷隆盛

大久保利通と西郷隆盛は明治維新の立役者として力を合わせたものの、新政府内の政策方針を巡って決裂しました。特に征韓論に対する意見の違いが大きな要因となり、2人は別々の道を歩むことに。その結果、日本の近代化と士族層の不満が複雑に交差し、西南戦争という悲劇を引き起こしました。

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