幻の剣士・沖田総司の本物の写真が存在した!・・というのはデマでした

幕末

要約

沖田総司は新選組一番隊隊長として名高い剣士ですが、彼の本物の写真は現存していません。現代に伝わる「沖田総司の写真」とされるものは、別人のものである可能性が高いとされています。この記事では、沖田総司にまつわる写真の謎と、当時の写真技術、そして彼のイメージがどのように形成されたかについて、楽しい会話形式で掘り下げます。

ミホとケンの対話

ミホ
ミホ

ケン、沖田総司の写真って見たことある?

ケン
ケン

えっ、たしか若くてかっこいい感じの写真なかったっけ?

ミホ
ミホ

実はね、それ、沖田総司じゃないって言われてるの。

ケン
ケン

えー!マジで!? じゃあ誰なの!?

ミホ
ミホ

たぶん、別の時代の人とか、全然関係ない人だったりするんだよ。

ケン
ケン

そんなことある!? どうして間違えちゃったの?

ミホ
ミホ

明治時代以降に『沖田総司』って名前が有名になったから、似た雰囲気の写真を“これだ!”って紹介しちゃったみたい。

ケン
ケン

じゃあ、沖田さんの本物の顔はわかんないんだ……

ミホ
ミホ

そうなの。しかも、当時はまだ写真技術が発展し始めたばかりだったからね。

ケン
ケン

幕末って、写真ってあんまりなかったんだっけ?

ミホ
ミホ

撮るのにすごく時間がかかったし、高価だったの。武士でもなかなか撮らなかったんだよ。

ケン
ケン

じゃあ新選組の人たちの写真も少ない?

ミホ
ミホ

うん、土方歳三は珍しく写真が残ってるけど、ほとんどの隊士はないね。

ケン
ケン

えー、なんかさみしいなあ……

ミホ
ミホ

でも、小説や漫画のおかげで、沖田総司のイメージはすごく広まったよ!

ケン
ケン

たしかに!元気な美少年ってイメージあるもん!

ミホ
ミホ

実際の沖田さんは、剣の腕が超一流で、病気とも戦ってたんだよ。

ケン
ケン

病気!? なにそれ、知らなかった!

ミホ
ミホ

結核だったんだって。若くして亡くなっちゃったの。

ケン
ケン

うわぁ……かっこいいだけじゃなくて、すごく頑張った人だったんだね。

ミホ
ミホ

うん、だからこそ今でも多くの人に愛されてるんだよ。

ケン
ケン

沖田総司って、写真がなくても伝説だね!

さらに詳しく

沖田総司

姉・みつの孫・要をモデルに描かれた肖像画

沖田総司とは?

沖田総司(1842年または1844年頃生まれ、1868年没)は、新選組の一番隊隊長として活躍した剣士です。江戸の試衛館で天然理心流剣術を学び、若くして剣の腕を磨きました。新選組では剣術の才能を発揮し、特に鋭い突き技で名を馳せます。

性格は明るく無邪気で、周囲の隊士たちからも親しまれていました。しかし、若くして結核を患い、戊辰戦争が始まった頃には重病により戦線を離脱し、26歳前後という若さで亡くなりました。

写真技術と幕末の事情

幕末期の日本には、ペリー来航以後、西洋から写真技術が伝えられました。しかし当時の写真撮影は非常に手間がかかり、撮影に数十秒から数分もの静止が必要で、しかも高価なものでした。

武士や一部の裕福な商人、外交関係者以外には、写真を撮影する機会はほとんどありませんでした。新選組の中では、土方歳三の写真が残っていることで有名ですが、他の隊士の写真はほとんど確認されていません。

沖田総司に至っては、病床にあったことや早世したこともあり、写真を残す機会がなかったと考えられています。

「沖田総司の写真」とされるものの正体

沖田総司ではない

長年、沖田のものと考えられてきたが全くの別人

現在流布している「沖田総司の写真」と称されるものはいくつかありますが、いずれも確証はありません。有名なものでは、明治時代の医師・長谷川辰之助や、全く別人の肖像写真が沖田に誤認された例が知られています。

特に昭和期以降、出版物や展示会で「これが沖田総司」と紹介された写真が、後に別人と判明したケースもありました。これらは、沖田の人気と神秘性が高まる中で、「写真が存在してほしい」という人々の願望が生んだ誤認だったと考えられています。

沖田総司のイメージ形成

沖田総司の人物像は、大正から昭和にかけての小説や演劇、映画によって形成されました。中でも、「美少年で天才剣士、病に倒れた悲劇の英雄」というイメージは、多くの創作物に共通しています。

たとえば大佛次郎の小説『鞍馬天狗』や、司馬遼太郎の『燃えよ剣』などが、このイメージを定着させました。現代でもアニメや漫画、ドラマで人気キャラクターとして登場する沖田総司は、史実よりも創作によって膨らんだ存在ともいえます。

しかし、写真や記録が少ないからこそ、彼への想像と憧れは今も尽きることがありません。

まとめ

沖田総司

沖田総司は、新選組随一の剣士として知られながらも、その写真は現存していません。幕末当時の写真技術の制約もあり、彼の容姿は後世の創作によって形作られました。しかし、写真が残っていなくても、沖田総司の魅力と英雄像は今も人々の心に生き続けています。

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