要約
菅原道真は平安時代の学者・政治家で、のちに学問の神として祀られましたが、死後には怨霊と恐れられました。左遷と非業の死ののち、都で次々と起きた異変は「道真の祟り」とされ、藤原氏を震え上がらせます。この記事では、彼の生涯と怨霊伝説の真相、そしてなぜ天満宮で神として祀られるようになったのかをひも解いていきます。
ミホとケンの対話

ねえケン、『菅原道真』って知ってる?

うーん…聞いたことあるけど、学問の神様だよね?

そう!でもね、実は『怨霊』として超こわがられてた時期があるんだよ

えっ、神様なのに怨霊!? どうして?

それはね、彼の人生がかなり悲劇的だったから…。左遷されて無実の罪で亡くなっちゃったの

ひどい…。誰がそんなことしたの?

当時の権力者、藤原時平たち。彼らが道真を九州の大宰府に左遷したの

それで恨みがたまって…怨霊に?

うん。そしてその後、都では落雷や病気が大流行。時平も若くして死んだの

それって…道真の呪い?

当時の人たちはそう思ったみたい。雷も道真の怒りの象徴ってされてたよ

雷!? それで天神様って雷の神様でもあるのか!

そうそう!雷=天=天神って感じでね。道真を怒らせたらやばいってことで、神様として祀るようになったの

こわいけど…ちょっと同情しちゃうな

わかる。すごく優秀でまじめな人だったんだよ。朝廷では学者としても有名だったし

なのに陰謀で左遷されて…しかも死んでから怨霊扱いって…

でも逆に、その力が認められて全国に天満宮が建てられることになったの

あ、それが『太宰府天満宮』とか『北野天満宮』だ!

正解っ。受験生が参拝するのも、もとは道真の怨霊をなだめるためだったんだよ

へえ〜!神様ってなだめるために祀られることもあるんだね

そうなの。日本では、怖い存在ほど神様になりやすいの

なんか深いなぁ…。怖いけど、ありがたいっていう矛盾がすごい

それが日本の神道の面白さかもね

道真さん、ただの学問の神じゃなかったんだなぁ

そう、彼の人生には、光と闇の両方があったの
さらに詳しく

引用元:太宰府天満宮
菅原道真とは?
菅原道真(845年〜903年)は、平安時代中期の学者・政治家で、漢詩や学問に優れ、宇多天皇に重用されて右大臣にまで出世しました。家柄は名門貴族ではなく、学者の家系でしたが、その才能で異例の出世を遂げました。
道真の左遷と死
899年に宇多天皇が退位し、醍醐天皇が即位すると、藤原時平が政権を握ります。901年、道真は「謀反の疑いあり」として、筑紫(今の福岡)へ左遷され、その地で失意のうちに亡くなります。これは時平の策謀と考えられています。
都を襲った災いと「怨霊化」
道真の死後、藤原時平の急死、清涼殿への落雷、疫病の流行などが相次ぎ、朝廷内では「道真の祟りだ」と恐れられました。特に930年の清涼殿落雷事件では、朝廷の要人が多数死亡したことが恐怖を呼び、道真は「天満大自在天神」として神格化されました。
神として祀られた理由
道真を鎮めるため、京都の北野に「北野天満宮」が建立され、その後全国に「天満宮」が広まりました。現在では学問の神様として崇敬されていますが、その背景には怨霊をなだめるという意味が含まれています。
まとめ
菅原道真は、優れた学者でありながら政争に巻き込まれ、無念の死を遂げた人物です。その死後に起きた災厄が「怨霊の祟り」とされ、彼は恐れられ、やがて神格化されました。現在の「学問の神様」というイメージの裏には、深い悲劇と祈りの歴史があったのです。
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