なぜ42.195km!? マラソンの距離に隠された王室のワガママとは

マラソン 古代

要約

マラソンの起源は紀元前490年のマラトンの戦いに遡ります。ギリシャ軍がペルシア軍を破った勝利の知らせを伝えるため、兵士がアテネまで走った故事が由来です。しかし現在のマラソン距離42.195kmは、この故事とは異なり、1908年のロンドン五輪でイギリス王室の意向により設定されたものです。本記事では、マラソン誕生の背景と、距離決定の意外な経緯を解説します。

ミホとケンの対話

ミホ
ミホ

ケン、マラソンってなんで42.195kmなのか知ってる?

ケン
ケン

うーん、長いなーってことしか知らない!なんでそんな中途半端なの?

ミホ
ミホ

実はね、マラソンの起源は古代ギリシャの“マラトンの戦い”っていう戦争が関係してるのよ

ケン
ケン

えっ!?戦争とマラソン?走る競技なのに?

ミホ
ミホ

そう。紀元前490年、ギリシャとペルシア帝国がマラトンって場所で戦ったの

ケン
ケン

マラトンって地名だったんだ!じゃあ、そこからアテネまで走ったの?

ミホ
ミホ

そう!ギリシャ軍が勝利したって知らせるために、兵士がマラトンからアテネまで約40kmを走ったの

ケン
ケン

へぇー!そっか、それがマラソンの始まりなんだ!

ミホ
ミホ

うん、でも当時は“40km”くらいだったのよ。今の42.195kmとは違うの

ケン
ケン

あれ?2キロちょっと増えてる…それってなんで?

ミホ
ミホ

それがね、1908年のロンドンオリンピックが関係してるの

ケン
ケン

え!イギリスのせいで増えたの?

ミホ
ミホ

厳密に言うと、イギリス王室の希望で“スタートをウィンザー城、ゴールを王妃が観戦しやすい競技場の前”にしたの

ケン
ケン

ええっ!?王妃が見やすいように距離決めたの?

ミホ
ミホ

そうなの。王妃アレクサンドラのためにゴールを移動させた結果、42.195kmになっちゃったの

ケン
ケン

まさかの王室のわがまま!歴史が変わっちゃったんだね!

ミホ
ミホ

おかげでその距離が後の大会でも定着して、1921年に正式に“マラソンは42.195km”と決まったのよ

ケン
ケン

じゃあ、もし王妃が別の場所で見たかったら、もっと違う距離になってたかも?

ミホ
ミホ

そうかもね。マラソンの距離は女王様の観戦場所次第だったの(笑)

さらに詳しく

マラトンの戦いとは?

マラトンの戦い

マラトンの戦い

マラトンの戦いは、紀元前490年に現在のギリシャで行われた、ギリシャ軍とペルシア帝国の間の戦闘です。

当時、東方の大帝国だったアケメネス朝ペルシアは、ギリシャの都市国家群を服属させようとしていました。これに対抗したのがアテネとその同盟都市プラタイアです。

この戦いで注目すべきは、兵力差にあります。ペルシア軍はおよそ2万〜2万5千人とされ、ギリシャ側の1万〜1万1千人に対して圧倒的な数を誇っていました。

ギリシャ軍の勝利

しかし、ギリシャ軍は地形を活かした戦術により勝利を収めました。中央の部隊をやや弱め、両翼で包み込む戦法(カンネーの戦いで後に使われたような戦術)を用いて、ペルシア軍を撃破しました。

この勝利により、アテネは独立を保ち、「民主政アテネ」の繁栄への道を開くことになります。

フェイディピデスの伝説

この戦いに関連して最も有名なのが、フェイディピデスという兵士の伝説です。彼は勝利の報せをアテネ市民に伝えるため、マラトンからアテネまで約40kmを走り、到着後「我ら勝てり(ニケー)」と叫んで息絶えたと伝えられています。

この物語が、後にマラソン競技の語源となりました。

なぜ42.195kmなのか?

アレクサンドラ・オブ・デンマーク

アレクサンドラ・オブ・デンマーク(イギリス王妃、インド皇后)

現代のマラソンの距離は42.195kmと定められていますが、この数字はフェイディピデスの伝説とは直接関係がありません。

その起源は、1908年のロンドンオリンピックにさかのぼります。

王室の意向で決まった距離

当初、ロンドン大会ではマラソンの距離をおよそ40km程度に設定する予定でした。しかし、大会の主催国であるイギリスでは、王室の存在感が大きく影響を及ぼしていました。

当時の大会で、スタート地点はウィンザー城の東庭ゴールはロンドン市内のホワイトシティ・スタジアムに決定されました。そして、ゴールの位置については、王妃アレクサンドラが観戦しやすいように競技場内のロイヤルボックスの前と指定されました。

このような王室の希望に合わせてコースが調整され、結果として42.195kmという距離が誕生したのです。

距離の固定とその後の影響

ロンドン大会以降、マラソンの距離は大会ごとに多少の変動がありましたが、1921年、国際陸上競技連盟(IAAF)によって正式に「マラソンは42.195kmとする」と定められました。

この距離が今日のオリンピックや市民マラソン大会でも使われており、世界中のランナーにとって共通の基準となっています。

王室とスポーツの関係

このエピソードは、国家の象徴としての王室の存在が、スポーツにどれほど影響を与えたかを示す一例です。

当時のイギリス王室は、国際的なスポーツイベントにも深く関わっており、政治・文化のシンボルとしてその意向が反映されることは珍しくありませんでした。

現在では考えにくいような「競技ルールの調整」が、王室の希望一つでなされたという点は、歴史的に非常に興味深い事実です。

このように、マラソンの距離が42.195kmである理由は、古代ギリシャの戦争だけでなく、20世紀初頭のイギリス王室の「おもてなし精神」にも深く関係しています。何気ない数字の裏に、数千年にわたる歴史の物語が隠されているのです。

まとめ

マラソン
マラソンの起源は、古代ギリシャのマラトンの戦いにありますが、現在の42.195kmという距離は、1908年のロンドンオリンピックでイギリス王室の希望により変更された結果です。王妃の観戦の都合に合わせてスタートとゴール地点が調整されたことで、今に続くマラソンの距離が生まれました。歴史の中で、思わぬ出来事が大きな影響を残すことがある好例です。

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