なぜジャンヌ・ダルクは火あぶりに!? フランスを救った少女が異端とされた真相

ジャンヌ・ダルク 中世

要約

ジャンヌ・ダルクは百年戦争中、フランスの救世主として登場し、戦況を大きく変える活躍を見せました。しかし捕らえられた彼女は、異端審問で火刑に処されてしまいます。なぜ英雄であるはずのジャンヌが火あぶりにされたのか、その背景には政治的な思惑と教会の権力争いがありました。本記事ではジャンヌの生涯と火刑の理由を、対話形式で詳しくひも解いていきます。

ミホとケンの対話

ミホ
ミホ

ケン、ジャンヌ・ダルクって知ってる?

ケン
ケン

あー、名前は聞いたことあるけど…たしか女の子の騎士?

ミホ
ミホ

そうそう!フランスを救った少女騎士って呼ばれてるんだけど、最後は火あぶりにされちゃうの

ケン
ケン

えっ!? 国を救ったのに、なんで火あぶりにされたの?

ミホ
ミホ

そこがね、すごく複雑なの。ジャンヌはフランスを勝利に導いたけど、敵のイングランドに捕まっちゃって…

ケン
ケン

それで処刑されたってこと?

ミホ
ミホ

うん。しかもただの処刑じゃなくて『異端』って理由で教会に火刑にされたの

ケン
ケン

異端って…宗教的にヤバいってこと?

ミホ
ミホ

正解!当時、キリスト教の教えに逆らったり、勝手に神の声を聞いたって言うと危険人物扱いだったの

ケン
ケン

え!でもジャンヌって、神のお告げで戦ったんじゃないの?

ミホ
ミホ

まさにそれが問題だったの。ジャンヌは『神の声を聞いた』って言って王太子シャルルを王にしたから、教会の権威を脅かしたのよ

ケン
ケン

あ、じゃあ教会は自分たちの立場が危なくなると思ったんだ!

ミホ
ミホ

うん、それにジャンヌが活躍するとフランスの国民の士気が上がるから、イングランドにとっては超厄介な存在だった

ケン
ケン

政治的にも邪魔だったんだね…

ミホ
ミホ

そう。ジャンヌを捕らえたのはブルゴーニュ派っていうイングランド寄りのフランス貴族たちで、彼女をイングランド側に売り渡したの

ケン
ケン

ひどい!味方のはずが敵に売るなんて…

ミホ
ミホ

その後、ジャンヌはルーアンで異端審問にかけられて、火刑が決まったの

ケン
ケン

でも神の声を聞いたってだけで火あぶりはやばくない…?

ミホ
ミホ

ジャンヌが男装していたことや、教会の命令に従わなかったことも口実にされたの。すべて合わせて『異端』ってされたのよ

ケン
ケン

なるほど…イングランドと教会の都合の犠牲になったんだ

ミホ
ミホ

そう。しかも死後20年以上経ってから再審が開かれて、無実って判決が出たの

ケン
ケン

えっ、名誉回復!? 遅すぎる…

ミホ
ミホ

でもそれでジャンヌは“聖女”としてたたえられるようになって、今ではフランスの国民的英雄になったのよ

ケン
ケン

すごい人生だなぁ…最後はちゃんと評価されてよかった!

さらに詳しく

ジャンヌ・ダルク

『火刑台のジャンヌ・ダルク』ヘルマン・スティルケ作

ジャンヌ・ダルクとは?

ジャンヌ・ダルク(Jeanne d’Arc)は、1412年にフランス北東部のドンレミ村に生まれた農民の娘でした。彼女は十代の頃から「神の声を聞いた」と語り、イングランド軍に占領されたフランスを救う使命を自覚するようになります。

当時のフランスは、百年戦争の混乱の中にあり、王太子シャルル(後のシャルル7世)は正統な王として認められていませんでした。ジャンヌは彼に面会し、自らの神の啓示を語って信頼を得たうえで、軍の先頭に立ってオルレアンの包囲を解いたのです。これにより、ジャンヌは「オルレアンの乙女」として国民的英雄となりました。

異端審問と火刑の理由

なぜジャンヌが裁かれたのか

その後、ジャンヌは1430年にブルゴーニュ派によって捕らえられイングランド側に身柄を売り渡されます。彼らはジャンヌの政治的影響力を恐れており、彼女を裁くことでフランス王権の正当性にも疑問を投げかけたかったのです。

ジャンヌは1431年、ルーアンで教会による異端審問にかけられました。主な罪状は以下のようなものでした:

  • 神の啓示を聞いたと主張し、それを根拠に行動した
  • 男装して軍を率いた(教会法では禁じられていた)
  • 教会の権威に従わず、異端的とみなされた

審問では強要や偽証も行われたとされ、最終的にジャンヌは「異端」として火刑に処されます。年齢はわずか19歳でした。

処刑の背景にある政治的事情

ジャンヌの火刑には、宗教的な異端の疑い以上に政治的な意図が色濃く反映されていました。当時のカトリック教会は、政治権力と深く結びついており、教会の権威を脅かす存在は危険視されていたのです。

さらに、ジャンヌがシャルル7世の戴冠を実現させたことが、イングランドにとっては大きな痛手でした。彼女を「魔女」「異端者」として処刑することで、シャルルの正統性に疑問を投げかけ、フランス国内の士気をそぐ狙いがあったと考えられています。

再審と名誉回復、そして聖女へ

ジャンヌの死後、25年後の1456年にフランス王シャルル7世の命によって再審が行われます。この裁判では、当時の審理が不当であったとされ、ジャンヌの無罪が正式に宣言されました。

そして500年近くの時を経て、1920年にはローマ教皇ベネディクト15世によって列聖され、ジャンヌ・ダルクは「フランスの守護聖人」と認められるに至ります。現在でも彼女は、自由・信仰・正義の象徴として語り継がれています。

まとめ

ジャンヌ・ダルク

ジャンヌ・ダルクは、神の声を聞いたと信じてフランスのために戦った英雄でしたが、政治と宗教の思惑に巻き込まれ、異端とされ火刑に処されました。しかしその死後、名誉は回復され、今ではフランスの象徴的存在とされています。彼女の生涯は中世ヨーロッパの複雑な権力構造を映し出す象徴的な出来事です。

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