要約
豊臣秀吉は、右手の指が6本ある多指症であったとする説があります。これは、前田利家の回想録や宣教師ルイス・フロイスの記録、朝鮮の儒学者・姜沆の著作など、複数の史料に記されています。当時、多指症は珍しくなく、幼少期に余分な指を切除することが一般的でしたが、秀吉はそのままにしていたようです。これらの記録から、秀吉が多指症であった可能性は高いと考えられます。
ミホとケンの対話

ケン、豊臣秀吉って知ってるよね?

もちろん!戦国時代の有名な武将だよね。

そうそう。その秀吉だけど、右手の指が6本あったって知ってた?

えっ、本当に?初めて聞いたよ。

実は、複数の史料にその記述があるの。

どんな史料?

例えば、前田利家の回想録『国祖遺言』には、秀吉の右手の親指が1本多く、信長から『六ツめ』とあだ名されていたと書かれているの。

信長がそんなあだ名をつけてたんだ。

そうみたい。さらに、宣教師ルイス・フロイスの『日本史』にも、秀吉の片手に6本の指があったと記されているの。

外国の記録にもあるんだね。

うん。そして、朝鮮の儒学者・姜沆の『看羊録』には、秀吉が生まれつき右手に6本の指があり、成長後に自ら刀で切り落としたと書かれているの。

自分で切り落としたなんて、すごい話だね。

本当だね。これらの記録から、秀吉が多指症であった可能性は高いと考えられているの。

多指症って、どれくらいの頻度で見られるものなの?

多指症は、手の先天異常の中で最も多くみられるもので、1000人に1人くらいの割合で生まれると言われているの。

そんなに珍しいものではないんだね。

そうだね。当時も多指症で生まれた子供は、幼少期に余分な指を切除することが一般的だったみたい。

じゃあ、秀吉はなぜそのままにしていたのかな?

それについては、はっきりとは分からないけど、彼の出自や環境が影響している可能性があるね。

なるほど。興味深い話だね。
さらに詳しく

豊臣秀吉像(狩野光信画)
多指症とは何か?
多指症とは、手や足の指が通常より多く形成される先天性の異常であり、医学的には「多肢症」とも呼ばれます。手に6本の指がある場合は「手の多指症」とされ、親指側(橈側)、小指側(尺側)、中央(中間型)など、余分な指の位置によって分類されます。日本でも昔から報告されており、現代では生後すぐに手術で除去することが一般的です。
豊臣秀吉の多指症に関する記録
豊臣秀吉の多指症説は、一つの伝説ではなく、複数の信頼性ある史料に記載があります。
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『国祖遺言』: 前田利家が書いたとされる記録で、秀吉の右手の親指が1本多かったとし、信長が彼に「六ツめ」と呼び名をつけたというエピソードが残っています。
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『日本史(ルイス・フロイス著)』: 16世紀に来日したイエズス会宣教師ルイス・フロイスが著した歴史書に、秀吉の片手に6本の指があったと記述されています。
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『看羊録(姜沆著)』: 朝鮮から捕虜として日本に連れてこられた儒学者・姜沆が記した中にも、秀吉が右手に6本の指を持っていたことが明記されています。彼は成長してから自ら刀で切り落としたとも。
これらはすべて異なる視点から書かれており、共通して「秀吉の右手に6本の指があった」と述べているため、かなり信憑性が高いと考えられます。
なぜ指を切らなかったのか?
当時の一般的な対応としては、幼少期に多指を切除することが多かったのですが、秀吉は成人してからも指を残していた可能性があります。一説には、貧しい農民の出自で医療にかかる余裕がなかった、あるいは縁起物とされた説もあります。指が1本多いことを「神の子」として吉兆とする考えもあったため、秀吉がそれを武運や運命の証と考えていたのかもしれません。
伝説と事実の境目
ただし、これらの話がどこまで「事実」であるかは議論の余地があります。当時の記録は政治的意図や噂を含んでいる場合もあり、秀吉の人間性を神格化または風変わりに描こうとする動きもあったでしょう。とはいえ、複数の独立した史料に共通して出てくる「右手6本指」という記述は、歴史学的にも非常に興味深い点です。
まとめ
豊臣秀吉には右手に6本の指があったという説があります。これは前田利家やルイス・フロイス、姜沆など複数の人物の記録に共通して登場するため、歴史的事実である可能性が高いと考えられています。当時の多指症はそれほど珍しいものではなく、一般的には除去されましたが、秀吉はそのままにしていたことが、彼の出自や思想に関係していたと推察されます。この逸話は、天下人の人間味を感じさせる興味深い歴史的要素のひとつです。
オマケ
AIに秀吉の指6本でイメージ画像を作成してもらうと、こんな画像が出来ました。
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