ガリレオが宗教裁判で「それでも地球は回っている」と言ったのは本当?

ガリレオ・ガリレイ 近世

要約

ガリレオ・ガリレイは17世紀の天文学者で、地球が太陽のまわりを回っているという「地動説」を支持したことで宗教裁判にかけられました。この記事では、彼がなぜ裁かれたのか、そして有名な「それでも地球は回っている」という言葉が本当にあったのかを探りながら、科学と宗教がぶつかった歴史の一幕を詳しく解説します。

ミホとケンの対話

ミホ
ミホ

ケン、『それでも地球は回っている』って聞いたことある?

ケン
ケン

あるある!え、あれって地球が自転してるって話?

ミホ
ミホ

そう、それを信じてたガリレオって人がいたの。でもそれで裁判にかけられたんだよ

ケン
ケン

えっ!地球が回ってるって言っただけで?なんで!?

ミホ
ミホ

当時のキリスト教の教えでは『地球は宇宙の中心』って考えが正しいとされてたの

ケン
ケン

あ〜、地球中心のやつだ!コペルニクスも似たようなこと言ってたよね?

ミホ
ミホ

そうそう、ガリレオはコペルニクスの地動説を支持してたの。でも教会はそれを『異端』とみなしたの

ケン
ケン

まさか、それだけで罰せられるとは…

ミホ
ミホ

実際、1616年には教会から『地動説は禁止』って警告されてたのよ

ケン
ケン

それなのにまた言っちゃったの?

ミホ
ミホ

うん、1632年に『天文対話』って本を出して、また地動説を広めたの

ケン
ケン

わーお、勇気あるなあ。でもそれで裁判?

ミホ
ミホ

うん、翌年に宗教裁判にかけられて、有罪判決。異端とされて自宅軟禁されたの

ケン
ケン

うわ…でも有名なセリフ、『それでも地球は回っている!』って言ったんでしょ!?

ミホ
ミホ

実はね、それは後の創作って説が濃厚なの。裁判の場では言ってないと思われてるのよ

ケン
ケン

ええー!ロマン壊れるけど、ちょっと納得

ミホ
ミホ

でも科学の真実を信じて、自分の信念を貫いたのは本当。それが今の科学の礎になってるの

ケン
ケン

じゃあ、ガリレオは科学界のヒーローってことだね!

ミホ
ミホ

うん、間違いなくね。彼の勇気がなかったら、今の宇宙の理解はずっと遅れてたかも

ケン
ケン

でも…家から出られなくなったのはツラい…

ミホ
ミホ

そうだね。でもその後も研究を続けたんだよ。晩年には力学の研究でまた大きな功績を残したの

ケン
ケン

えっ、最後まで諦めなかったんだ!すごい…尊敬!

ミホ
ミホ

だから今でも『近代科学の父』って呼ばれてるの。すごい人なんだよ、ほんとに

さらに詳しく

ガリレオ・ガリレイ

1636年の肖像画(ユストゥス・スステルマンス 画)

ガリレオ・ガリレイとはどんな人物か?

ガリレオ・ガリレイ(Galileo Galilei、1564年~1642年)は、イタリア生まれの物理学者・天文学者・哲学者です。
彼は改良した望遠鏡を使って、木星の衛星月のクレーター金星の満ち欠けなどを観測しました。

これにより、当時主流だった天動説(地球が宇宙の中心)を疑問視し、地動説(太陽中心)の有力性を実証的に支えました。
その功績により、彼は「近代科学の父」とも呼ばれています。

なぜ教会は地動説に反対したのか?

17世紀当時、ヨーロッパではカトリック教会が絶大な権力を持っており、聖書の記述がすべての真理とされていました。
聖書には「地球は動かない」とする記述があり、これがプトレマイオスの天動説を裏付けるものと解釈されていたのです。

そのため、地球が動くというガリレオの主張は、単なる科学理論にとどまらず、宗教的教義への挑戦と受け取られました。
結果として、教会は地動説を「異端」と断定し、強い弾圧を加えたのです。

ガリレオの著書と宗教裁判

1616年、教会はコペルニクスの地動説を公式に禁止し、ガリレオにも「地動説を唱えてはならない」と命じました。
しかし彼は、1632年に『天文対話』を出版し、再び地動説を世に問いかけます。

この著作は、登場人物が天動説と地動説について議論する形式ですが、地動説寄りの内容が明白であり、教会を激怒させました。
翌年、ガリレオはローマの宗教裁判所に召喚され、ついに異端審問を受けることになります。

その結果、彼は「異端の罪」で有罪判決を受け、自宅での終身軟禁を命じられました。

「それでも地球は回っている」は本当?

裁判後にガリレオが呟いたとされる有名なセリフ、「それでも地球は回っている(E pur si muove)」
これは科学への信念を象徴する名言として知られていますが、実はこの言葉は後世の創作である可能性が高いとされています。

史実としての記録はなく、初出は1761年の伝記。ガリレオの死後100年以上も経った後に登場したものです。
しかし、このフレーズは現在でもガリレオの精神を象徴する言葉として、多くの人々に語り継がれています。

自宅軟禁中の研究と晩年

軟禁生活の中でも、ガリレオは研究を止めませんでした。
特に重要なのが、晩年に書かれた『新科学対話』です。ここでは慣性の法則落体運動など、物理学の基本原理が論じられています。

これらの研究は、後にアイザック・ニュートンの業績につながり、近代物理学の礎を築くことになります。

また、晩年には視力を失いながらも、弟子たちとの文通を通じて知識を共有し、最後まで学問への情熱を失いませんでした。

ガリレオ裁判の歴史的意義

ガリレオ裁判は、宗教と科学の対立を象徴する出来事として、今日まで語り継がれています。
この事件をきっかけに、ヨーロッパでは啓蒙思想が広がり、理性と観察に基づく科学的思考が発展しました。

ガリレオの勇気と信念は、「真理を信じる強さ」「知への飽くなき探求心」の大切さを、今の私たちにも教えてくれます。

まとめ

ガリレオ・ガリレイ

ガリレオ・ガリレイは、科学的真実を追求したことで宗教権力と対立し、裁判にかけられることとなりました。彼の「それでも地球は回っている」という有名な言葉は実際には言っていないとされますが、その精神は今日まで語り継がれています。彼の研究は近代科学の礎となりました。

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