要約
明暦3年(1657年)に発生した「明暦の大火」は、江戸時代最大規模の火災で、江戸城天守を含む広範囲を焼き尽くしました。その原因として語り継がれているのが「振袖火事」と呼ばれる伝説です。これは一枚の振袖をめぐる不思議な連鎖が発端となったとされ、江戸の人々の記憶に強く残りました。この記事では、恋心から始まる悲劇の物語と、それが語られる背景を紐解いていきます。
ミホとケンの対話

ねぇケン、“振袖火事”って知ってる?

え? 振袖が火事になるの? 着物が燃えちゃったって話?

ううん、それがね、江戸の街をほとんど焼き尽くした“大火”の原因って言われてるのよ

えっ!そんなにすごい火事が着物のせいだったの!?

そう、1657年、明暦3年のこと。本郷の本妙寺から出火して、江戸城の天守も焼け落ちたの

天守まで!? 江戸城って超でっかいんでしょ?

その大火の出火元とされる本妙寺にね、不思議な伝説があるの

わぁ、気になる~!どんな話なの?

ある裕福な質屋の娘・梅乃が、寺で見かけた美少年に一目惚れして、彼の着物の柄と同じ振袖を作って抱きしめてたの

えー、かわいいじゃん。でもそれが火事にどうつながるの?

その子、恋わずらいで亡くなっちゃうの。形見の振袖は棺にかけられて寺に運ばれたんだけど…

うんうん

その振袖は寺男が転売して、次の娘のもとへ。でもその子も亡くなって、また本妙寺に戻ってきて…

え、怖い! 呪われてるじゃん!

さらにもう一人の娘も…。同じことが起きたから、さすがにお寺も怖くなって供養のため焼こうとしたのね

うん、ようやくまともな対応だ

そしたら、振袖に火がついて、風に煽られて…江戸中が大火事に!

ええええええ!! それってホラー映画みたいだよ!!

そうなの、だから“振袖火事”って呼ばれてるの。でもね、これは創作とされることが多くて

え、じゃあウソなの?

完全な作り話っていうより、江戸の人たちが衝撃をどうにか説明しようと生んだ“物語”なのよ

なるほど…怖い話って記憶に残るもんね

そういうこと。現実には出火原因は不明なんだけど、この話が広まったのもそれだけ事件が大きかったから

じゃあ、恋する振袖が江戸を焼いた…って、まさにドラマチックな歴史だね!
さらに詳しく

明暦の大火(『江戸火事図巻』田代幸春画)
振袖火事とは?
「振袖火事」とは、1657年(明暦3年)に起きた明暦の大火にまつわる伝説のひとつです。江戸市中を焼き尽くしたこの火災の火元とされる本郷・本妙寺からの出火には、一枚の振袖をめぐる悲劇が語り継がれています。
それは、裕福な質屋の娘・梅乃が、寺で見かけた小姓風の少年に一目惚れし、彼の着ていた柄に似せた振袖を仕立てて抱きしめながら想い続けたという話。
しかし恋は実らず、梅乃は恋煩いで若くして亡くなります。葬儀の際、形見の振袖は棺にかけられ本妙寺に運ばれました。
その振袖は寺男に転売され、また別の少女が手にします。しかしその娘もほどなく病没し、振袖は再び寺へ。この怪異は三度繰り返され、寺では供養のために振袖を燃やす決断を下します。
ところが、火に投げ入れた瞬間、突風が吹き振袖が炎をまとって舞い上がり、屋根に引火したというのです。これが、江戸全体を焼き尽くす大火の引き金となったとされています。
この話の意味と影響
「振袖火事」の話は今日では作り話とされていますが、江戸の人々にとっての災害の記憶を形作る物語でした。
科学的な原因分析が困難だった時代、超常的な説明や怪談形式で出来事を理解しようとしたことは自然な流れだったのです。
明暦の大火の実態
火元と出火の経過
明暦の大火は、1657年1月18日から20日まで3日間にわたって江戸を焼いた未曽有の火災です。出火地点はひとつではなく、本郷、小石川、麹町の3か所で連続して発生しました。これにより、
江戸城の天守閣を含む市街地の大半が焼失し、死者は3万から10万人とも言われます。
被害の規模
この火災で焼失したのは江戸の6割、城下町の中でも特に密集していた地域です。江戸城の天守は再建されず、以降の江戸の都市構造にも大きな影響を与えました。
復興と都市改造
幕府の対応
明暦の大火後、幕府は本所牛島新田に身元不明遺体を埋葬し、供養のために回向院を建立しました。同時に米の放出、価格統制、町人・武士問わずの復興援助を実施し、早期の都市再建に着手しました。
都市構造の再編
火除地や広小路といった防火帯の設置、寺社の郊外移転、武家屋敷の再配置などにより、江戸の都市計画は根本から見直されました。これが近代都市・東京の原型にもつながる重要な改革です。
振袖火事は真実か?
歴史学的には「振袖火事」はフィクションとされており、浅井了意らが取材の結果、作り話と結論づけています。
しかし、江戸の災害と民衆心理を理解するうえでは非常に示唆に富んだ話であり、江戸文化の一端を知るうえで重要な伝承です。
まとめ
明暦の大火は、江戸を根底から揺るがした大災害でした。火元の一つとされた本妙寺をめぐる「振袖火事」の伝説は、江戸の人々がこの悲劇をどう捉え、どう語り継ごうとしたかを示す象徴です。史実と伝説が交錯することで、歴史はより立体的に感じられます。
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