要約
平安時代の貴族・藤原道長は、摂政として絶大な権力を握り「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の…」という有名な和歌を詠みました。この歌は、満月のように欠けるところのない自分の権力を表現したもので、まさに頂点を極めた男のドヤ歌ともいえます。この記事では、その背景や意味、藤原道長の人生を会話形式でわかりやすく解説します。
ミホとケンの対話

ケン、“この世をば わが世とぞ思ふ”っていう歌、聞いたことある?

うーん、なんかちょっと中二病っぽい響きだね…誰が詠んだの?

ふふ、平安時代の超大物、藤原道長だよ。まさにリアル最強の貴族って感じ!

え!その人、なんでそんな自信満々な歌を詠んだの?

この歌、実は道長が摂政になって、娘たちを天皇の妃にして、自分の力が絶頂のときに詠んだものなの

え、えー!つまり、『この国はもうオレのもんだ!』って宣言した感じ?

そうそう、“満月のように欠けるところがない”っていう意味も込めて、“望月の欠けたることもなしと思へば”って続くんだよ

めちゃくちゃドヤってるじゃん!でも、そのくらいのこと言えるってすごいな

道長は、摂関政治を極めた人。娘を3人も中宮にして、自分の孫が次々天皇になったの

もはや将軍よりすごいんじゃ…

当時は天皇よりも実権を握ってたと言われてるよ。裏ボス的存在かな

じゃあ、その和歌って、いつ詠んだの?

1018年、娘・威子(いし)が中宮になったとき、宴の中で詠んだの

宴でそんな歌を詠むって、平安貴族、派手すぎない?

でもそれが文化だったの。自分の気持ちを和歌で表現するのがステータスだったのよ

…てことは、今で言うSNSの“俺すごいだろ”投稿みたいな?

まさに!でも和歌でさりげなく、優雅にドヤるのが平安流

和歌って奥深い…でも道長の人生、成功しかなかったの?

表面上はね。でも晩年は病に苦しんで、仏教に傾倒していったの

あ、なんか…そう聞くと少し人間っぽいな

そうなのよ。『この世をば~』の歌も、永遠じゃなかったってところがまた味があるよね

うん、満月もいつかは欠けるんだもんね…なんかロマンあるなあ

詠まれた背景を知ると、ただのドヤ歌じゃなくて、時代の鏡にも見えてくるでしょ?
さらに詳しく

「紫式部日記絵巻」より
藤原道長とは?
藤原道長(966年〜1028年)は、平安時代中期の政治家で、藤原北家の出身です。摂政・関白といった要職に就き、事実上、国家の実権を握りました。娘たちを天皇の后とすることで、自分の血筋を皇室に取り込み「摂関政治」の頂点を築きました。
「この世をば~」の歌の意味
「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」は、道長が自身の絶頂期に詠んだ和歌です。「この世界は自分のもののように思える。まるで満月のように欠けるところがない」と訳され、道長の誇りと満足感が込められています。
歌が詠まれた背景
1018年、道長の娘・威子が中宮(皇后)となった祝宴の席で、この和歌が披露されました。当時、すでに長女・彰子や次女・妍子も天皇の后となっており、道長の孫が皇位を継ぐ状況にありました。その政治的完成を「満月」にたとえ、権力の極みに達した心情が表現されています。
晩年の道長と仏教への傾倒
晩年、道長は糖尿病のような病に苦しみました。仏教への信仰を深め、多くの寺院を建立・寄進しました。栄華の中にも無常を感じた道長の心情が、後に彼の権勢をさらに奥深いものとして見せています。
まとめ
藤原道長の「この世をば」の和歌は、彼が政治的な頂点に立った瞬間に詠まれた、時代を象徴する一首です。満月にたとえた権力の完成は、平安貴族の美意識と自負心をよく表しています。その一方で、晩年の道長は病に悩み、仏教に救いを求めたことから、栄華と無常というテーマも読み取れる和歌です。
オマケ
AIに栄華を極めた藤原道長が「望月の歌」をドヤ顔で詠む様子をイメージした画像を作成してもらうと、こうなりました。
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