要約
斎藤道三は戦国時代、美濃国の支配者となった異色の武将です。もとは油売りとして生計を立てていましたが、巧みな立ち回りと野心によって一国の主にまで成り上がりました。この記事では、斎藤道三の驚きの成り上がり人生や、その背景にある時代の動きを、会話形式で楽しくわかりやすく解説していきます。
ミホとケンの対話

ねえケン、”斎藤道三”って知ってる?

うーん、有名な人っぽいけど…何した人?

もともと油売りだったのに、美濃の国主になった人だよ!

えっ!? 油売りから大名に!? そんなことありえるの?

戦国時代って、力と才覚があれば何でもできたんだよね。

それにしても、どうやってそんな出世したの?

まず、商売で成功してお金を稼いで、寺に仕えたりして地位を築いたんだ。

商売だけじゃなくて、ちゃんと人脈作りもしてたんだ!

そう!それから、主君を裏切って乗っ取るという大胆な行動に出たの。

乗っ取り!? すごいけど、めちゃくちゃ怖い…!

道三は、ただの力だけじゃなくて、計略もうまかったからね。

でも、そんなことしたら恨まれなかったの?

うん、もちろん敵も多かった。最終的には息子に討たれちゃうんだよ。

ええー!息子に!?

そう、斎藤義龍(よしたつ)っていう息子にね。

親子ゲンカってレベルじゃないね…

うん。でも、その道三の行動が、後の織田信長につながる流れを作ったんだよ。

信長も関係してるの!?

信長は道三の娘、濃姫と結婚してるからね!

なるほど~!道三がいなかったら、信長の歴史も変わってたかも!

まさに”油売りが日本史を動かした”って感じだよね!
さらに詳しく

斎藤道三像(常在寺蔵)
斎藤道三とは?
斎藤道三(さいとう どうさん、1494年頃〜1556年)は、戦国時代に美濃国(現在の岐阜県周辺)を支配した戦国大名です。特筆すべきは、彼が元は武士ではなく、商人出身だった点です。
当時は身分制度が厳格に残る時代でしたが、道三はその常識を打ち破り、下剋上の象徴のような存在となりました。実際には道三という個人ではなく、親子二代の行動をまとめて「道三」と呼んでいる説もありますが、いずれにしても戦国の動乱を巧みに生き抜いた才覚の持ち主であったことに変わりはありません。
油売りから大名への道
道三の若い頃は「松波庄五郎」と名乗り、京(現在の京都市)で油売りとして各地を行商していたと伝わります。油売りは、特に寺院や貴族社会で重宝される商売でしたが、彼は単なる物売りでは終わりませんでした。
行商の途中で出会った権力者たちと縁を結び、経済的な成功を土台に、徐々に社会的地位を築いていきます。その後、美濃国の守護代・長井氏のもとで頭角を現し、主家の土岐氏の内紛に巧みに介入します。
結果的に、実権を握るとともに「西美濃三人衆」などの有力者たちと結びつき、地盤を固めました。そして最終的には、主君であった土岐頼芸(とき よりのり)を追放し、自らが美濃国の実質的支配者となったのです。
道三の戦略と性格
斎藤道三は、非常に冷静かつ計算高い人物だったと伝わります。戦いにおいても単純な力押しは好まず、むしろ謀略や交渉術を駆使して敵を出し抜きました。
また、自らの地位を磐石にするために、婚姻政策を積極的に利用しました。特に有名なのが、自分の娘・帰蝶(のちの濃姫)を織田信長に嫁がせたことです。この婚姻により、織田家と同盟関係を築き、外敵への備えを強化しました。
一方で、道三は家臣や周囲からの反感も買いやすい人物だったといいます。特に、次第に独裁的な振る舞いが目立つようになり、最終的には家族との対立を招きます。息子・斎藤義龍とは後継者問題で対立し、結果的に義龍との長良川の戦いで命を落としました。
斎藤道三の死とその影響
1556年、斎藤義龍は父・道三に対して挙兵し、長良川で戦闘が勃発しました。道三は最後まで抵抗しましたが、義龍軍の数に押されて討ち死にします。享年63歳前後とされています。
死に際して、道三は織田信長に向けた書状を残しており、そこには「美濃の国を譲りたい」という旨が書かれていました。このことからも、道三が信長の器量を高く評価していたことがうかがえます。
道三の死後、美濃は一時的に義龍の支配下に入りましたが、義龍も若くして病死。その後、美濃は織田信長によって制圧され、信長の天下統一事業の重要な拠点となります。つまり、道三の活動は間接的に、信長の台頭とその後の日本史の大きな流れを作るきっかけとなったのです。
道三伝説とその真相
斎藤道三に関する逸話には、「二度成り上がった男」と呼ばれる伝説があります。つまり、父と子の二代にわたって身分を上げ続けたために、油売りから僧、さらに武士、そして大名へと二度もステップアップを果たしたというものです。
これが真実かどうかは諸説ありますが、道三の生涯が「努力と知恵と大胆さ」で道を切り開いたことは疑いありません。
また、油売り時代の彼が、瓶の口から一滴も油をこぼさずに注いだ妙技で商売を成功させたというエピソードも有名です。この逸話は、後の政治・軍事における緻密さを象徴するエピソードとして語られています。
まとめ
斎藤道三は、油売りという平民から一国の支配者に成り上がった異例の戦国武将です。その巧みな立ち回りと大胆な行動力は、戦国時代ならではのダイナミズムを象徴しています。彼の人生は、後の織田信長の活躍にも深く影響を与え、日本史において重要な役割を果たしました。
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