「ボーイズ・ビー・アンビシャス」には続きがあった!? クラーク博士の真意とは

クラーク博士 日本の近代

要約

「Boys, be ambitious(少年よ、大志を抱け)」で知られるクラーク博士の言葉には、実は続きが存在したとされています。札幌農学校の初代教頭として来日したクラーク博士は、わずか1年足らずの滞在で日本の若者に大きな影響を与えました。この記事ではその有名な名言の真意とされる“続き”の言葉を含めて、クラーク博士の人物像や彼が残した教育的影響について、会話形式で楽しく掘り下げていきます。

ミホとケンの対話

ミホ
ミホ

ケン、”Boys, be ambitious”って聞いたことある?

ケン
ケン

あるある!なんか学校の廊下とかに貼ってあった気がする!

ミホ
ミホ

そうそう!それ、クラーク博士っていうアメリカ人が言った言葉なんだけど、実は続きがあるって知ってた?

ケン
ケン

え、えー!? 続き?『Boys, be ambitious…えーっと、もっと頑張れ!』とか?

ミホ
ミホ

ふふ、それもちょっと惜しいかも。その続きはね…“for Christ”なんだよ

ケン
ケン

えっ、『キリストのために』!? どういうこと!?

ミホ
ミホ

クラーク博士は敬虔なキリスト教徒だったから、大志を抱くなら神のために、という意味だったの

ケン
ケン

でもそれって、学校の標語とかには使いにくいよね?

ミホ
ミホ

その通り。だから一般的には“Boys, be ambitious”までが有名になったんだよ

ケン
ケン

なるほど〜!じゃあクラーク博士って、どんな人だったの?

ミホ
ミホ

彼は札幌農学校、今の北海道大学の前身の初代教頭として日本に来たの

ケン
ケン

何でそんなすごい人が日本に来たの?

ミホ
ミホ

明治政府が海外の知識人を呼んで、近代化を進めてた時代だったの

ケン
ケン

じゃあ、クラーク博士は農業を教えてたの?

ミホ
ミホ

うん、それだけじゃなくて、英語やキリスト教倫理、リーダーシップも教えてたの

ケン
ケン

日本人にめちゃくちゃ影響与えたんじゃない?

ミホ
ミホ

そうなの。彼の教え子には、後に日本の農業や教育界をリードする人物が多いの

ケン
ケン

じゃあ、あの言葉が教えの集大成みたいなもの?

ミホ
ミホ

まさにそう。しかも彼が帰国する時に馬に乗って見送られながら叫んだっていう話もあるんだよ

ケン
ケン

えぇ〜映画みたい!めっちゃロマンある!

ミホ
ミホ

だから今も、北海道大学の正門前には彼の銅像があるの

ケン
ケン

あー見たことあるかも!指さしてるやつだよね?

ミホ
ミホ

うん、それがまさに“Boys, be ambitious”のポーズってわけ!

ケン
ケン

なんか感動してきた…僕も何かに大志を抱いてみようかな!

さらに詳しく

クラーク博士

1876年頃のクラーク博士

クラーク博士とは?

ウィリアム・スミス・クラーク(William S. Clark)は、1826年にアメリカで生まれた教育者・植物学者です。アメリカではマサチューセッツ農科大学(現・マサチューセッツ大学アマースト校)の学長を務め、明治時代の日本政府からの要請で1876年に来日しました。彼は札幌農学校(現在の北海道大学)の初代教頭として、わずか8か月間の短い滞在ながら、日本の若者たちに多大な影響を与えました。

「Boys, be ambitious」の全文

一般に知られているのは冒頭の「Boys, be ambitious(少年よ、大志を抱け)」のみですが、実際には以下のような全文があったとされています:

“Boys, be ambitious!
Be ambitious not for money or for selfish aggrandizement, not for that evanescent thing which men call fame. Be ambitious for attainment of all that a man ought to be.”

日本語に訳すと、以下のような意味になります。

「少年よ、大志を抱け!
金のためであってはならない。
利己的な栄達のためであってはならない。
儚い名声というもののためであってもならない。
人としてあるべきすべてを達成するために、大志を抱け。」**

さらに、宗教的背景を強く持つ「for Christ(キリストのために)」や、「for the sake of truth and righteousness(真理と正義のために)」という言葉も付け加えられていたとされ、一部の文献や伝承にはこれらのバージョンも残されています。

教育理念と信念

クラーク博士は熱心なプロテスタントであり、教育とは知識だけでなく精神性や道徳観を育てるものだと考えていました。彼が学生たちに伝えたかったのは、物質的成功ではなく、「人としてどうあるべきか」という理想の追求でした。この考え方は、明治初期の日本において極めて先進的であり、若者たちに大きな衝撃と感動を与えました。

教え子たちのその後

クラーク博士が教えた札幌農学校の第一期生の中には、日本農業の近代化を支えた宮部金吾や、後に日本の教育界を支えた佐藤昌介らが含まれます。また、彼の精神を受け継いだ人物として、新渡戸稲造(『武士道』の著者)も広く知られています。彼らは“志”を胸に、多方面で日本の発展に寄与しました。

なぜ「続き」が知られていないのか

「Boys, be ambitious」の後に続く“宗教的文脈”を含む部分は、当時の日本では公的教育の場では馴染みにくいとされ、省略されて広まっていきました。また、クラーク博士自身が帰国の際に学生たちに贈った言葉が口頭で伝えられたため、正確な全文には諸説あるのも事実です。しかし、その核心には「利己ではなく、より高い理想を目指せ」という普遍的なメッセージが込められています。

クラーク博士の記念と影響

クラーク博士

さっぽろ羊ヶ丘展望台のクラーク像

現在も北海道大学の構内にはクラーク博士の銅像があり、彼の言葉は今も生き続けています。札幌の観光名所にもなっている「クラーク像」は、右手を前方に指し示す姿で、「未来への大志」を象徴する存在となっています。

まとめ

「Boys, be ambitious」は、ただの格言ではなく、クラーク博士の深い信念と教育理念が込められた名言です。日本の近代化の初期に来日した彼は、わずか8か月間の滞在で大きな足跡を残しました。続きの言葉を知ることで、その言葉が単なる励ましではなく、高い精神性と理想を目指すメッセージであることが理解できます。

オマケ

AIに、クラーク博士のイメージ画像を上記内容を元に作成してもらうと、こうなりました。

クラーク博士

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