要約
アタワルパはインカ帝国最後の実質的皇帝として即位しましたが、スペインの征服者ピサロによって謀略に巻き込まれ、理不尽な理由で処刑されました。黄金で命を買えると信じた彼の交渉は裏切られ、信仰も文化も尊重されぬまま命を奪われた悲劇を詳しく解説します。
ミホとケンの対話

ケン、アタワルパって名前、聞いたことある?

うーん…アワタルパ?なんかインカっぽいけど、誰それ?

アタワルパだよ!インカ帝国の最後の皇帝で、とっても理不尽な理由で処刑されちゃったの

えっ、処刑!? 皇帝なのに!? なんでなんで?

スペインの征服者ピサロに捕まえられて、キリスト教の聖書を『なぜこれは喋らない』って言って地面に投げたことが決定打になっちゃったの

え、それだけで!? 書いてあるものが喋らないのは当たり前じゃん!

そうだよね。でもスペイン人にとってはそれが『神への冒涜』だって口実になったの

うわー、それって言いがかりじゃん…

うん、実際ピサロたちは最初から征服するつもりで、アタワルパを捕まえるきっかけを探してたの

でも皇帝なんでしょ?助けられなかったの?

アタワルパは自分の命と引き換えに、部屋いっぱいの金と銀を渡すって提案したんだけどね

うわっ、部屋いっぱい!? それなら見逃してくれそうなのに!

実はピサロは釈放する気は全くなかったの。権力を握りたかったから

えー…じゃあ、金も銀も全部だまし取ったってこと?

そう。しかも裁判もめちゃくちゃで、罪は全部こじつけ

どんな罪で裁かれたの?

偶像崇拝とか、兄を殺したとか、スペイン人に反抗したとか。でもそれって皇帝として当然の行動だったり、状況的に仕方ないことだったの

ますますひどい…

火あぶりの刑を宣告されたけど、転生できないと恐れてキリスト教に改宗したの

それで助かったの?

助からなかったけど、絞首刑に変わったの。キリスト教徒としてはそっちのほうが“慈悲”だとされたんだって

なんか、全部スペイン人の都合ばっかりだね…

まさにそう。アタワルパの死は、植民地支配の始まりであり、文化と信仰の踏みにじりでもあったの

歴史ってほんと、勝ったほうが正義ってなっちゃうんだな…

だからこそ、理不尽に命を奪われた人たちの物語も忘れちゃいけないんだよ
さらに詳しく
アタワルパとは

アタワルパ
アタワルパ(Atahualpa)は、インカ帝国第13代皇帝であり、実質的には最後のサパ・インカ(皇帝)でした。父は11代皇帝のワイナ・カパック。アタワルパは本来後継者ではなかったものの、内戦の末に異母兄ワスカルを破り、皇位を掌握します。
内戦の背景
父帝ワイナ・カパックの死後、本来の皇太子もすぐに亡くなったため、帝国はクスコ派(ワスカル)とキト派(アタワルパ)に分裂しました。表面上の平和は数年続きましたが、ワスカルが正統な皇位を主張し、アタワルパに服従を求めたことで対立が激化。インカ帝国内戦が勃発します。
内戦の勝者アタワルパ
アタワルパは将軍チャルクチマとキスキスと共に軍を立て直し、各地で勝利を重ねてワスカルを捕縛。皇位継承を宣言し、南下する途中でカハマルカに立ち寄ったのです。
ピサロとの出会いと誤解

ピサロ
スペインのコンキスタドール(征服者)であるフランシスコ・ピサロが1532年、カハマルカに到着します。彼はアタワルパに面会を求め、神父バルベルデを通じてキリスト教改宗を迫りました。アタワルパはこれを拒否し、バルベルデが差し出した聖書を地面に投げたことで、スペイン人は「神への冒涜」と受け取りました。
文化的な誤解
この行為は、書き文字を持たないインカ文化の理解不足からくるものであり、悪意はなかったと考えられます。しかしピサロたちはこれを侵略の口実とし、即座に行動を起こします。
カハマルカの戦いと捕縛
1532年11月16日、ピサロ率いる168人のスペイン兵は、アタワルパの軍(およそ8万人)に対し、カハマルカの戦いで奇襲を仕掛けました。インカ側は非武装であったため、大混乱に陥り、7000人以上が殺害されます。アタワルパは捕らえられ、神殿に幽閉されました。
金銀で命を買う試み
囚われのアタワルパは、自分の命と引き換えに、部屋一杯の金と二部屋分の銀を提供することを申し出ます。この「エル・クアルト・デル・レスカテ(身代金の部屋)」は実際に用意され、スペイン側もその価値に驚愕しました。
しかし釈放はされなかった
ピサロは表面上はこれを受け入れましたが、釈放する意思は初めからありませんでした。アタワルパの権威を利用し、現地支配を安定させると同時に、最終的には自身の権力掌握を目指していたのです。
模擬裁判と処刑
スペイン人はアタワルパに対し、反乱計画、偶像崇拝、兄殺しなど12の罪をでっち上げ、火あぶりの刑を宣告しました。インカの信仰では、焼かれると転生できないとされ、アタワルパはこの刑を非常に恐れました。
キリスト教改宗による“慈悲”
ここで再び登場したのがバルベルデ神父。彼はアタワルパにキリスト教に改宗すれば絞首刑に変えることができると伝えます。皇帝は洗礼を受け、フランシスコ・アタワルパとなりましたが、最終的には鉄環絞首刑(ガローテ)で命を落としました。
死後の扱いと歴史的意義
アタワルパの遺体は一部焼却されたのち、キリスト教式に埋葬されたと伝えられています。彼の死後、スペインはトゥパク・ワルパやマンコ・インカを立てて形式的な皇帝としましたが、実質的にはアタワルパが最後のインカ皇帝とされています。
まとめ
アタワルパの処刑は、スペイン征服者による圧倒的な武力と文化的無理解、そして欲望によって引き起こされた悲劇でした。彼の命と引き換えに差し出された金銀すら、彼の救いにはなりませんでした。征服の裏にあった一人の皇帝の悲しい最期は、歴史が語る“勝者の論理”の犠牲と言えるでしょう。
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