アレクサンドロス大王の死は酒が原因!? その後大帝国はどうなったのか

アレクサンドロス大王 古代

要約

東西の文明をつなぎ、空前の大帝国を築いたアレクサンドロス大王は、わずか32歳で謎の死を遂げました。彼の死因については今も議論が続いており、酒による急性アルコール中毒説や病気、毒殺説など諸説あります。本記事では、酒が原因とされる説を中心に、アレクサンドロスの最期に迫りながら、その死がもたらした歴史的影響も解説します。

ミホとケンの対話

ミホ
ミホ

アレクサンドロス大王って知ってる?

ケン
ケン

名前は聞いたことある!すごい偉い王様だったんでしょ?

ミホ
ミホ

うん、若くして東方遠征をして、インド近くまで征服しちゃったの

ケン
ケン

すご!でもその人、なんで死んじゃったの?

ミホ
ミホ

そこがね、歴史ミステリーなの。32歳で突然亡くなったんだけど、原因がはっきりしないの

ケン
ケン

え、そんな若くして?戦でじゃなくて?

ミホ
ミホ

そう。戦場じゃなくて、バビロンで突然体調崩して亡くなったの

ケン
ケン

じゃあ、やっぱり酒の飲みすぎとか?

ミホ
ミホ

実はそれも有力な説の一つ。宴のあとに高熱と腹痛で寝込んだって記録があるの

ケン
ケン

飲みすぎて熱が出たの?

ミホ
ミホ

アルコール中毒か、あるいは酒に混ざってた毒だった可能性もあるの

ケン
ケン

毒!? 誰かに殺されたってこと?

ミホ
ミホ

そう思ってる歴史家も多いよ。彼が死んだことで、帝国は一気に崩壊し始めたから

ケン
ケン

あー、それで後継者争いが始まったのか

ミホ
ミホ

正解!ディアドコイ戦争っていう大戦争に突入したの

ケン
ケン

でも、そんな大事な人が死ぬのに、ちゃんと医者いなかったの?

ミホ
ミホ

当時の医療では病名も診断も曖昧だったからね…。マラリアや腸チフス説もあるの

ケン
ケン

どれが本当かわからないのが逆にミステリアスで面白いな

ミホ
ミホ

でしょ?中には“神に召された”って神格化する考えもあったのよ

ケン
ケン

伝説の王様って感じする!

ミホ
ミホ

でも酒と毒と陰謀が交差するあたり、まさに古代のサスペンスドラマって感じだよね

ケン
ケン

歴史って、意外と推理ものっぽいんだね〜!

ミホ
ミホ

そう、しかもこの死が歴史の流れをガラッと変えたんだから、すごいでしょ

ケン
ケン

アレクサンドロスが生きてたら、世界地図ぜんぜん違ったかもね!

さらに詳しく

アレクサンドロス大王

愛馬ブケパロスに騎乗したアレクサンドロス

アレクサンドロス大王とは

アレクサンドロス3世(通称:アレクサンドロス大王)は、紀元前356年にマケドニア王国で生まれました。父はマケドニア王フィリッポス2世、そして教育係はあの哲学者アリストテレスです。わずか20歳で王位を継ぎ、ギリシャを統一すると、ペルシア帝国に対して大規模な遠征を開始しました。

彼はわずか10年足らずでエジプト、メソポタミア、ペルシア、さらにインド北西部にまで領土を拡大し、人類史上でも類を見ない巨大帝国を築きました。その征服と統治は、「ヘレニズム文化」の広がりをもたらし、東西の文明融合の契機ともなったのです。

バビロンでの死と酒の関係

突然の体調不良と高熱

紀元前323年、インドからの遠征を終えて戻ったアレクサンドロスは、バビロンで祝宴を開きます。その直後、激しい腹痛と高熱に見舞われ、ベッドから起き上がることもできない状態に。そして、13日間にわたり衰弱し続け、32歳の若さで亡くなりました。

アルコール中毒説

記録によれば、彼は祝宴で大量のワインを飲んだとされています。このため、急性アルコール中毒が死因ではないかという説が古くから語られています。当時はワインを薄めずに飲むことも多く、強い酒で体調を崩した可能性もあります。

毒殺説の浮上

疑われた将軍たち

もう一つの有力説が、毒殺説です。彼の死によって帝国の後継争いが勃発したため、誰かが権力を得るために殺したのでは?という疑念が持たれています。特に側近だったカッサンドロス、アンティパトロスらが疑われることもあります。

ただし、毒であればもっと早く死ぬはずで、13日間もかかったことから、通常の毒物ではなく、遅効性の毒であったとも推測されます。

現代医学からの分析

最近の研究では、病気による自然死の可能性も強調されています。候補としては:

  • マラリア
  • 腸チフス
  • 膵炎
  • ギラン・バレー症候群(神経系の障害)

アレクサンドロスの症状(高熱、麻痺、衰弱など)と合致する点があり、現代の医学でも断定は困難ながら、多角的な検証が進められています。

彼の死がもたらしたもの

帝国の分裂と戦乱

アレクサンドロスには正式な後継者がいなかったため、死後すぐに将軍たちの間で「ディアドコイ戦争」が始まりました。この内戦により帝国は分裂し、プトレマイオス朝エジプトセレウコス朝シリアなど、各地に王朝が誕生しました。

つまり、アレクサンドロスの死は単なる「個人の死」ではなく、歴史の大きな転換点だったのです。

まとめ

アレクサンドロス大王

アレクサンドロス大王の死因は、酒の飲みすぎによる急性中毒説から、毒殺、感染症までさまざまな説があります。確定的な証拠はなく、いまなお歴史上最大のミステリーのひとつとされています。彼の死は、その後の世界の歴史を大きく変える転機となりました。

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