要約
「生類憐みの令(しょうるいあわれみのれい)」といえば犬の保護が有名ですが、実際には犬に限らず、猫・鳥・魚・虫などの動物、人間の命まで広く対象に含まれていました。徳川綱吉が発したこの法令は、儒教思想や母の影響、そして当時の価値観から生まれたもの。市民の生活を混乱させる一方で、道徳や仁政の理想を体現しようとした側面もあります。本記事では、犬以外に目を向け、生類憐みの令の全体像とその時代背景を掘り下げます。
ミホとケンの対話

ケン、『生類憐みの令』って知ってる?

あー、あれでしょ?犬を大事にしろってやつ!

そうそう、でも実は犬だけじゃなかったのよ

えっ、じゃあ猫とかも?

もちろん!猫、鳥、魚、牛、馬、それに人間まで対象だったの

に、人間も!?どんな人間が?

捨て子とか、病人、弱者の保護も含まれてたの

へぇ?、なんか福祉政策みたいだね

いい視点ね!でも、庶民にはけっこう大変だったのよ

大変って、どういうこと?

例えば道で犬や虫を踏みそうになっても、避けないと罰せられるの

虫まで!?それはちょっと…

カメや魚を釣ったら処罰されたこともあるのよ

え、釣りもダメ!?江戸っ子の楽しみが…

さらに、病人を見捨てても罰になるって決まりもあったの

それっていいことじゃないの?

理想はね。でも現実には負担も大きかったの

たしかに…。動物も人間も守るって難しいな

そうなの。だから生類憐みの令には賛否両論があるのよ

でも綱吉って、なんでそんなことしたんだろう?

それには儒教の影響と、お母さんの影響があるって言われてるわ

あっ、親孝行とか仁の心ってやつ?

まさにそれ!仁政を体現しようとしたともいえるの

うーん、考えさせられるね…。生類憐みの令、奥深いな!

でしょ?犬だけじゃ語れない、時代の価値観が詰まってるのよ
さらに詳しく

徳川綱吉(土佐光起筆 徳川美術館蔵)
生類憐みの令とは?
生類憐みの令(しょうるいあわれみのれい)は、江戸幕府第5代将軍・徳川綱吉が1685年(貞享2年)から断続的に出した法令群の総称です。 主な目的は、「すべての命を大切にする」ことで、名前のとおり「生き物への慈しみ」を政策として打ち出したものでした。
世間では「犬公方(いぬくぼう)」というあだ名が綱吉につくほど犬に関する政策が目立ちますが、実際には猫、鳥、馬、牛、魚、昆虫、人間の赤子や病人に至るまで広範囲にわたって保護対象とされていました。
なぜこのような法令が出されたのか?
背景にはいくつかの要因があります。
儒教思想の影響
綱吉が信仰していた儒教の中の「仁政」思想が大きな要因です。仁政とは、「為政者は思いやりと慈愛をもって政治を行うべし」という考え方。 当時、知識層の間ではこの思想が尊ばれており、綱吉も徳のある統治者を目指していたといわれます。
桂昌院の信仰と助言
綱吉の母・桂昌院の影響も見逃せません。彼女は仏教的信仰に篤く、「生き物を大切にすれば徳が積まれ、子宝にも恵まれる」という思想を持っていました。 綱吉には跡継ぎがいなかったため、命を慈しむことで運命を変えようとした側面もあります。
保護対象は犬だけじゃない!

「十二ヶ月年中江戸風俗」より
実際に生類憐みの令で守られたのは以下のような存在でした:
- 犬:野犬を捕獲して保護するための「犬小屋」が設置される
- 猫・鳥:捕まえたり虐待することは禁止
- 魚:釣る行為すら処罰対象となった記録あり
- 亀や虫:捨てたり踏みつける行為が禁じられる
- 人間:特に捨て子や病人を見捨てると罰則
これらの違反には時として「死罪」「流罪」「追放」といった重い刑が科されることもありました。
庶民の生活への影響
この法令は庶民の生活に直接影響を及ぼしました。
例えば、魚を釣って家族を養っていた庶民が取り締まりを受けたり、
病人を助けなかったことで役人に訴えられた例などもあります。
また、犬の保護施設には莫大な費用がかかり、江戸の財政を圧迫。
庶民からは「そんなことより米の値段をどうにかしてくれ」という声も多く、不満や皮肉が噴出することになりました。
それでも見直される面も
一方で、この法令が強調した「命を軽んじない姿勢」は、当時の武士社会においては革新的な思想でもありました。
例えば、人間の命を簡単に扱っていた戦国時代から見れば、平和な時代の道徳教育として一定の意義があったともいえます。
近年の研究では、動物福祉や人権意識の初期形態として再評価されることもあります。
生類憐みの令の終焉
綱吉の死後、6代将軍徳川家宣が即位すると、この法令はすぐに廃止されました。 当時の人々の多くが安堵したと伝えられています。
しかし、綱吉の政策は江戸時代中期以降の道徳観や教育政策に少なからず影響を残しており、
今でも「過剰だったが、理念は興味深い」と評価されることがあります。
まとめ
生類憐みの令は、単なる「犬好き将軍の珍政策」ではなく、仁政や宗教観に基づいた総合的な倫理法令でした。対象は犬に限らず、猫や魚、病人にまで及び、命を尊ぶ思想が背景にあります。江戸市民にとっては混乱を招いた一方、現代にも通じる「弱者保護」や「生命尊重」の理念が含まれていました。
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