要約
ローマ帝国第5代皇帝ネロは、暴君として知られていますが、その悪名の始まりは母アグリッピナとの確執にありました。母の強すぎる支配と、息子の自立心がぶつかり、やがてネロは母を毒殺しようとします。歴史に残るその親子関係の真相と背景、そしてネロの暴君伝説の始まりについて、エピソードを交えて解説します。
ミホとケンの対話

ケン、ローマの暴君ネロって聞いたことある?

なんかすごい悪い皇帝だったって話は聞いたかも?

そうそう、でも実は“母親を殺した”ってところから悪名が広まったのよ

えっ!? 自分の母親を!? それってヤバすぎない!?

かなりね。でも、背景を知ると少し事情も見えてくるの

どういうこと?

ネロの母、アグリッピナはとても野心家でね。ネロを皇帝にするために前の皇帝とも結婚してるの

え、それって…すごい手段だね…

アグリッピナは、ネロが皇帝になった後も自分が裏から支配しようとしたのよ

あー、なるほど。ネロはお母さんにずっと操られてたの?

最初はそう。でも次第にネロが自立しようとすると、母が邪魔になってきたの

え、それで毒殺しちゃったの?

実は、最初は毒で殺そうとしたけど失敗。次に船ごと沈める計画を立てたの

え!? 船沈め!? 映画みたい!

でもそれも失敗して、最終的には刺客を送って殺したの

まさかの三段階…それだけ執念がすごいね

ローマの皇帝は命がけの椅子だったからね。母親でさえ脅威だったの

でも、そんなことしたらネロもヤバいやつに思われるよね?

うん。それ以降、ネロは暴君としての行動がエスカレートしていったの

やっぱり、あのお母さん殺しがターニングポイントなんだ…

まさに。ローマ史の中でも最も有名な親子の悲劇なのよ

なんか…怖いけど、人間ドラマとしてもすごく深いね
さらに詳しく

ネロ
ネロとは?
ローマ帝国第5代皇帝、ネロ・クラウディウス・カエサル(在位:54〜68年)は、暴君の代名詞として語られることが多い人物です。
しかし彼は、即位当初から暴走していたわけではありません。
16歳で即位した若き皇帝ネロは、当初こそセネカやブルルスといった賢明な補佐に支えられ、穏健で人気のある政治を行っていました。
しかし、彼の背後には絶大な影響力を持つ存在――母アグリッピナが控えていたのです。
アグリッピナの野望と支配力

アグリッピナ
血筋と政略結婚による権力掌握
アグリッピナは第3代皇帝カリグラの妹で、名門ユリウス=クラウディウス家の出身です。
彼女は息子ネロを皇帝にするため、現皇帝クラウディウスと政略結婚し、自分の息子を後継者に据えるという野望を実現します。
クラウディウスには実子ブリタンニクスがいましたが、彼は不自然な死を遂げます。
その影にアグリッピナの暗躍があったとも噂されています。
皇帝の“母”としての権力
ネロ即位後もアグリッピナは実権を手放さず、政治に介入し続けました。
それは次第に、ネロの自立心と反発心を強めることになります。
毒殺未遂と暗殺計画の経緯
毒による最初の試み
ネロはまず、食事に毒を盛って母を殺害しようとしますが、アグリッピナは常に毒見役を用意しており、失敗します。
船を沈めて事故死に見せかける
次にネロは、アグリッピナを崩落装置付きの船に乗せ、事故死に見せかけようとします。
しかし船が沈んだ後も彼女は泳いで岸にたどり着き、この計画もまた失敗します。
ついに刺客を差し向ける
最終手段としてネロは刺客を母の邸宅に送り込み、アグリッピナを殺害します。
この時、彼女は自らの死を悟り「腹を刺しなさい、そこから皇帝が生まれたのだから」と言ったとも伝えられています。
母殺しが引き起こした暴君化
この凄惨な事件を機に、ネロの精神状態は大きく変化しました。
彼は猜疑心と孤独に苛まれ、かつての恩師セネカにも自殺を命じるほど疑念を深めていきます。
さらに、反対派や元老院の貴族たちに対しても粛清を繰り返し、次第に彼の政権は恐怖政治へと傾いていきました。
ローマ大火と暴君のレッテル
64年に発生したローマ大火では、「ネロが火を見ながら竪琴を弾いていた」という逸話が有名ですが、これは後世の創作とも言われています。
しかし、ネロが火災の責任をキリスト教徒に押し付けて迫害したのは事実です。
こうした行動から、ネロは歴史上「暴君」として記録されるようになります。
最期と歴史的再評価
68年、各地で反乱が相次ぎ、元老院がネロを国家の敵と認定。
ネロは逃亡の末、自ら命を絶ちました。
「なんという芸術家が死ぬのだ」という彼の最期の言葉は、歴史に残る名言とされています。
ただし近年では、ネロの文化政策や都市再建の取り組みを評価する研究もあり、単なる暴君とは言い切れない側面も見直されています。
まとめ
ネロは単なる「暴君」ではなく、母アグリッピナとの激しい確執が彼の運命を大きく左右しました。母の支配から逃れようとしたネロは、ついには殺害という手段に出てしまいます。この事件を境にネロの行動は過激化し、ローマ史上でも特に悪名高い皇帝となりました。背景には権力闘争や精神的重圧があったことも見逃せません。
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