要約
教科書などでおなじみの「源頼朝の肖像画」は、実は本人ではない可能性が高いとされています。その絵は「伝源頼朝像」と呼ばれ、歴史上の複数人物のうちの誰かを描いたものだという説があります。本記事では、その肖像画の真相と、なぜ間違って伝わったのか、背景を解説します。
ミホとケンの対話

ケン、源頼朝の肖像画って見たことある?

あるある!なんかスッとした顔の人で、偉そうに座ってるやつでしょ?

そうそう、教科書とか資料集にもよく載ってるよね

うん!あれが源頼朝なんでしょ?

実はね、あの絵、頼朝じゃないかもしれないの

えぇ!? マジで!? どういうこと!?

あの肖像画は『伝源頼朝像』って呼ばれてて、鎌倉時代の人物かは不明なの

じゃあ誰なの!?

一説では足利直義とか、足利尊氏の弟だって言われてるよ

え、全然違うじゃん!なんでそんなのが頼朝になったの?

江戸時代の儒学者・林羅山が『これは頼朝だ!』って言ったのがきっかけみたい

おおお、それって間違いじゃん!

当時はまだ写真もないし、肖像画の情報も少なかったからね

うわー、教科書に出てるのが別人って、ちょっとショック…

でも、その絵がずっと頼朝として見られてきたことで、イメージが定着したんだよね

じゃあ本物の頼朝の顔って、全然わかんないの?

残念ながら、確実な肖像は残ってないの。記録も少ないし

うーん…なんか歴史って、思ってたよりあやふやだなぁ

でもそれがまた面白いところ!研究が進めば、新しい説が出てくるかもしれないしね

なるほど、じゃあ肖像画って、話半分で見といた方がいいんだね

そうだね、”伝◯◯像”って書いてあったら注意して見るといいよ♪
さらに詳しく

絹本着色伝源頼朝像(神護寺蔵)※足利直義説もあり
「伝源頼朝像」とは?
「伝源頼朝像」は、京都・神護寺に伝わる肖像画のひとつで、黒い直垂(ひたたれ)をまとった男性が座っている姿が描かれています。格式ある姿で知られ、長らく「源頼朝の姿」とされてきましたが、実際にはその確証はありません。
誤認の歴史と林羅山の影響
江戸時代の儒学者・林羅山が、この絵を「源頼朝像」と紹介したことで広まりました。彼の言葉には権威があったため、それ以降この絵が「頼朝」として定着したのです。しかし、当時の人々もそれが本物かどうかの証拠は持っていませんでした。
実際は足利直義像?
近年の研究では、この肖像画が実は足利尊氏の弟・足利直義を描いたものではないか、という説が有力になっています。服装や表情の特徴、制作時期から考えても、鎌倉幕府の創設者である源頼朝本人である可能性は低いとされています。
本物の頼朝像はなぜないのか?
源頼朝が生きた平安末期〜鎌倉初期は、個人の肖像画が一般的ではありませんでした。肖像画文化が発展するのはもう少し後の時代です。そのため、頼朝を直接描いたとされる絵は、今のところ存在していません。
まとめ
一般に「源頼朝の肖像画」とされる絵は、実は別人を描いたものである可能性が高いことがわかっています。江戸時代の誤解から広まったこの肖像画は、歴史的には「伝源頼朝像」と呼ばれ、近年では足利直義像との説が有力です。歴史の資料には「伝◯◯」という表現に注意を向けることが重要です。
オマケ
AIに源頼朝の有名な肖像画が本人じゃないかも知れないことについてイメージ画像を作成してもらうと、こうなりました。・・いや、誰っ?(笑)
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