要約
西郷隆盛の顔として知られる肖像画や銅像は、実際には本人の写真をもとにしたものではなく、当時の知人たちの証言をもとに描かれた想像によるものです。写真嫌いだったとされる西郷は、生前に撮影された確証のある写真が一枚も残っていません。そのため、現代に伝わる“西郷像”は事実と異なる可能性もあり、歴史的な謎のひとつとされています。
ミホとケンの対話

ねえケン、西郷隆盛の顔って実は本人の写真じゃないんだよ

え?でも教科書や銅像のあの顔、超有名じゃん!

うん、でもそれ全部“想像”で描かれたの。写真をもとにしたものじゃないのよ

えぇー!? じゃあ本物の顔、誰も知らないってこと?

そうなの。西郷さんは写真を撮られるのをとても嫌ってたらしくて、生前の写真は一枚も確認されていないの

なんでそんなに嫌だったの?

いくつか説があるけど、“魂を抜かれる”っていう迷信を信じてたとか、単に目立つのが嫌いだったとか言われてるよ

えっ、可愛い理由…!

ふふ、でも実際は謙虚で、人前に出るのも控えめな性格だったみたい

へえ〜意外。じゃああの顔って、どうやって描いたの?

弟の西郷従道や、当時の知人たちが“こんな顔だった”って伝えた情報をもとに、画家が描いたの

ってことは、けっこう想像が入ってるんだね

そう。西郷さんの特徴って“がっしりした体格で、優しい目つき”だったらしいの

その雰囲気を想像して絵にしたってことか〜

だから“本物の顔”かは分からないけど、人物像からイメージされた西郷像なんだよ

なんかミステリアスで逆に魅力あるな…!
さらに詳しく

エドアルド・キヨッソーネ作、1883年
西郷隆盛の“顔”はどこに?
西郷隆盛(さいごう たかもり)は、幕末から明治初期にかけて活躍した日本の歴史上屈指の英雄です。維新三傑の一人として知られ、政治的・軍事的に大きな影響を与えました。しかし、そんな彼の「顔」にはいまだに大きな謎が残されています。
なぜ写真が残っていないのか?
当時、すでに写真技術は日本にも伝わっており、多くの幕末の志士たちは写真を残しています。にもかかわらず、西郷隆盛の生前に撮影された確実な写真は一枚も確認されていません。
主な理由とされる説
- 写真嫌いだった:写真という西洋技術に対して不信感があった。
- 「魂を抜かれる」と信じていた:当時一部に広まっていた迷信の影響を受けていた可能性。
- 極めて謙虚な性格:表に出るのを好まないため、自ら撮影を拒否していた。
これらの説のうち、どれが正しいかは断定されていませんが、西郷本人の意志で写真が残されなかったという点は多くの研究者の見解で一致しています。
有名な肖像画はどのように描かれたのか?
教科書や銅像で見かける「西郷隆盛の顔」は、実在の写真をもとにしたものではなく、画家が知人たちの証言や記憶を頼りに描いた“再現画”です。明治政府の依頼で制作され、全国に広まりました。
描写の根拠となった証言
証言の中では以下のような特徴が語られています。
- 身長は約180cm、当時としては非常に大柄
- がっしりとした体格で筋骨隆々
- 目はやさしく、全体として温厚な雰囲気
- 口元に特徴があり、無口だった
これらの証言をもとに、あくまで「想像による西郷像」が制作されたことが分かります。
現代における“西郷隆盛の顔”再現プロジェクト
21世紀に入ってからは、DNAや子孫の顔立ち、身体的特徴の記録などをもとにCGで再現しようとするプロジェクトも進められています。ただし、これもあくまで推定にすぎず、“本物の顔”を完全に知ることは困難です。
歴史に残る“顔なき英雄”
西郷隆盛のように、その功績は明確でも実際の姿が不明なままの歴史上の人物は少なくありません。しかし、顔が分からないからこそ、彼は時代を超えて“伝説”として語り継がれているとも言えます。
顔ではなく、生き様で記憶される偉人。西郷隆盛という人物の魅力は、まさにそこにあるのかもしれません。
まとめ
西郷隆盛の写真は現存せず、私たちが知る彼の“顔”は、周囲の証言に基づいて描かれた再現画にすぎません。写真嫌いだった背景や謎めいた人物像が、彼の魅力をさらに深めています。本物の顔は分からなくても、彼の生き様は今も多くの人々に影響を与え続けています。
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