要約
幕末の風雲児・坂本龍馬は、生涯で二度も命を狙われました。その舞台となったのが「寺田屋事件」と「近江屋事件」です。本記事では、両事件の違いを明らかにしつつ、それぞれの背景や関係する人物、そして龍馬の死の真相に迫ります。
ミホとケンの対話

坂本龍馬って、どこで亡くなったか知ってる?

えーと……暗殺されたんだよね?どこだっけ、寺田屋?

実は違うの。龍馬が亡くなったのは『近江屋』っていう場所なの

え!?寺田屋じゃないの?じゃあ寺田屋って何だったの?

寺田屋は、龍馬が襲撃された場所ではあるけど、命は助かったのよ

え、龍馬って二回も襲われたの!?命がけの人生じゃん…

ほんとにね。じゃあ、それぞれの事件についてもうちょっと詳しく説明するね

お願いします先生っ!

まず『寺田屋事件』は1866年、龍馬が伏見の寺田屋旅館に泊まっていたときに、伏見奉行所の役人に襲撃されたの

なんで襲われたの?

幕府に睨まれてたからよ。薩摩藩と長州藩を仲直りさせようとしてたから、幕府から見たら邪魔な存在だったのね

ええー、正義の人なのに…

その時、龍馬はピストルで応戦して逃げ切ったの。でも重傷を負ったのよ

やば…寺田屋事件って映画みたいだね

一方、『近江屋事件』は1867年11月15日、京都の近江屋という醤油商の店で暗殺された事件

うわ、こっちは逃げられなかったんだ…

そう。龍馬と中岡慎太郎が襲撃されて、龍馬はその場で絶命したの

誰がやったの?やっぱ新撰組?

それがね、犯人については諸説あるの。見廻組(みまわりぐみ)っていう幕府側の治安組織が有力だけど、はっきりしてないの

えー!ミステリーだ!

そうなの。だから龍馬の死って今でも色んな憶測が飛び交ってるのよ

寺田屋と近江屋って名前が似てるけど、全然違う話なんだね

そうそう、よく混同されがちだから気をつけてね
さらに詳しく
寺田屋事件とは何か?
1866年、坂本龍馬は薩摩藩の仲介で長州藩と同盟を結ぼうとしていました。その行動を警戒していた幕府が、龍馬が泊まっていた京都伏見の「寺田屋」に役人を差し向けます。このとき、龍馬は風呂に入っていたおりょうに危険を知らされ、ピストルで応戦しながら脱出しました。この事件により龍馬は負傷し、以後薩摩藩の庇護を受けることになります。
近江屋事件とは何か?
1867年11月15日、坂本龍馬は京都河原町の「近江屋」に滞在中、何者かに襲われ命を落とします。共にいた中岡慎太郎も致命傷を負い、数日後に死亡。犯行の手口や動機などから、幕府の見廻組によるものとする説が有力ですが、新撰組や他の勢力関与説もあり、真相は不明なままです。
二つの事件の違い
寺田屋事件は未遂、近江屋事件は暗殺成功という違いがあります。また、寺田屋では幕府による取り締まりの一環として命令された襲撃だったのに対し、近江屋事件では暗殺の動機や実行犯に関して多くの謎が残されています。いずれも坂本龍馬の命を脅かした重大事件であり、彼の活動の危険さを物語っています。
まとめ
坂本龍馬は生涯で二度も命を狙われました。寺田屋事件では命を取り留めましたが、近江屋事件では暗殺されてしまいました。名前の似た二つの事件ですが、場所も時期も異なり、それぞれに異なる背景と意味があります。幕末の激動を生きた龍馬の人生を象徴する出来事です。
オマケ
AIに、坂本龍馬が寺田屋と近江屋でそれぞれ襲われたエピソードを元に画像を作成してもらうと、こうなりました。
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