要約
久坂玄瑞は、幕末に活躍した長州藩の尊王攘夷派志士として知られていますが、もう一つの顔は「女性に非常にモテた男」でした。長身で容姿端麗、頭脳明晰で志も高かった彼のもとには、惹かれる女性が後を絶ちませんでした。松陰の妹・文との結婚をはじめ、京都の芸妓・辰路との関係など、恋愛面でも数々の逸話が残されています。この記事では、そんな玄瑞の「モテ伝説」に焦点を当て、その背景や人間性に迫ります。
ミホとケンの対話

ねぇケン、幕末のモテ男って誰だと思う?

えっ、やっぱり土方歳三じゃない?

もちろん土方歳三も人気あったけど、実は“久坂玄瑞”もすごかったんだよ

くさかげんずい?聞いたことあるけど、そんなにモテたの?

うん!長身で声も良くて、頭も良くて志も高い。まさに理想のスペック!

マジで!? それイケメン設定じゃん。顔も良かったの?

当時の記録によると、背は6尺、今で言う180cmくらい。品があって落ち着いた物腰だったって

イケメンで高身長でインテリ…そりゃモテるわ!

しかも、吉田松陰の妹・文と結婚したの。でもそれだけじゃないの

えっ、他にも女性がいたの?

京都の芸妓・辰路との間に子どももいるの。玄瑞が亡くなった後に生まれたって

えぇっ!? じゃあ文さんとは…?なんか複雑!

うん、文さんとの間には子どもはいなかったの。でも辰路との子・秀次郎が後に久坂家を継いだの

マジか…。幕末の志士って恋愛もドラマだなあ

それに、島原の芸者たちの間でも玄瑞は安心の存在だったってエピソードもあるのよ

どういうこと?

あるとき暴れ者の浪士が現れても、玄瑞が駕籠から一声かけたら逃げちゃったの。芸者も駕籠かきも“久坂さんがいれば安心”って言ってたって

めっちゃカッコいいじゃん!守ってくれるイケメン…これは惚れる

うん。まさに“文武両道のイケメン志士”。でも志はすごく高くて、最後は禁門の変で自刃してしまうの

あぁ…やっぱり時代が時代だもんね…。悲しいけど、カッコよすぎるなぁ

だから今でも“幕末のモテ男”として伝説になってるの。見た目だけじゃなく、中身が素敵だったからね

いやー、僕もそんな男になりたいよ!
さらに詳しく

久坂玄瑞
久坂玄瑞の魅力とモテた理由
長身で声も良い容姿の持ち主
久坂玄瑞は、身長6尺(約180cm)という当時としては非常に高身長であり、恰幅が良く声も美声だったと伝えられています。容姿についての記述は、彼を直接知る人々から「風采が衆に秀でていた」と証言されるほど。とくに、京都の芸者たちの間では「玄瑞さんを乗せている駕籠は安全」とまで言われていました。
あるとき、島原の芸者街に浪士たちが現れて騒ぎを起こそうとした際、久坂が駕籠から「私は長州の久坂だ」と一喝したところ、浪士たちは逃げ去ったというエピソードがあります。芸者や仲居たちは命の危険を感じていた中、久坂の一声で事が収まり、「あの方がいれば怖いものはない」と語ったとされます。
松陰の妹・文との結婚
久坂は吉田松陰の妹・文と結婚していました。松陰からの信頼は非常に厚く、玄瑞の人格や志を認めた上で、自分の妹を嫁がせたのです。
この結婚は、単に政略的な意味ではなく、松陰が玄瑞の将来性を見込んだ上での縁組でした。実際、松下村塾では高杉晋作と並ぶ「双璧」とされ、文と玄瑞は志をともにする夫婦としても知られていました。
京都の芸妓・辰路との関係
その一方で、京都の芸妓・辰路との間にも関係があり、久坂の死後、辰路は久坂の遺児・秀次郎を出産しています。この子はのちに認知され、久坂家を継ぐことになります。
当時の状況としては、志士たちは京に滞在することが多く、芸妓との交流は珍しいものではありませんでした。しかし、辰路との間に子をもうけたことは、久坂が深く関係を持っていたことを示唆しています。
この関係は文との結婚後に生じたものであるため、複雑な感情も伴ったでしょう。しかし、幕末の動乱の中で命を懸ける玄瑞にとって、辰路との関係もまた一つの心の支えだったのかもしれません。
信頼される存在としての玄瑞
玄瑞のモテぶりは、単に女性からだけでなく、男性からの信頼や尊敬にも通じています。前述の芸者街での一件だけでなく、同時代の志士たちからも「玄瑞がいれば安心」とされた存在でした。
吉田松陰も玄瑞のことを「防長における年少第一流の人物」と称賛し、また玄瑞自身が松陰と激論を交わし、毅然とした姿勢を貫いたことも、周囲から一目置かれる要因となったでしょう。
久坂の名声と女性の支持
玄瑞の評判は、女性の間でも広く知られていました。島原では“駕籠に乗っていれば久坂さんだとわかると安心”という証言があるほどで、彼の名声は街中に響いていたのです。
また、彼の遺児・秀次郎の存在が知られるようになったのは後年ですが、これは久坂の生前に築いた人間関係の深さを物語っています。普通の志士であれば、死後にその存在が忘れられることもある中で、久坂の名と血脈はしっかりと後世に受け継がれました。
まとめ
久坂玄瑞は、幕末の尊王攘夷運動の中心人物であると同時に、多くの女性を惹きつけた“幕末のモテ男”でした。長身で知性と行動力を兼ね備えた彼は、松陰の妹・文との結婚や、京都の芸妓との関係など、恋愛面でも多くの逸話を残しました。その魅力は外見や言葉だけでなく、時代を変えようとする真摯な志にあったといえます。
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